2012年12月アーカイブ
2012年12月26日 15:05 ( )パンの歴史
はじめに
スイスのパン研究者Max Wahrenの著書 "Brot seit Jahrtausenden"「マックス バーレン著 パンの歴史」中のパンの写真は素晴らしく、機会あるごとにスライドにして学生に見せています。
同時に以下のような話をしております。すみません、今回はその話を。
元々、野生小麦の生えていたところは、ユーラシア大陸のど真ん中、中近東地域であったと言われています。今でも車でこの近辺を走ると、道路脇には背丈の低い、貧弱な野生の小麦が生えているといいます。小麦は何千年も昔、この近辺の人々によって栽培され、貴重な穀物として食されていただろうし、彼らはその小麦の持つ独特のおかしさ、つまりダンゴ状にしたり、延ばしたり、ちぢめたり、自由自在の形を変えられるということに気がついていたはずです。
そういうことで大切にされていた小麦が、人の集まる集落から次の集落へと次第に東へ、西へ、南へ、北へと伝わっていったのだと思われます。何百ー何千年の年月をかけて広がるうちに東の果ての中国まで来ると、小麦はメンの文化として開花し、西の方では古代エジプト、ギリシャ、ローマ等でパンの文化として開花してゆくのです。
遠く離れた東と西で、小麦は夫々メンとパンというように全く形の違う食品として開花したのは面白いことです。しかし何れも小麦の持つ独特のグルテンの性質を非常に巧みに利用し、片や極細の1本の糸として、片や薄膜のスポンジとして利用しているのです。
パンの歴史
パンの歴史は7000年もの長い歴史を持つといわれています。世界最古のパン焼き釜は古代バビロニアの首都バビロンで発見され、それは今から6000年前といいます。パンは白熱灰の中や、熱した扁平な石の上で焼いて食べていました。1991年、ジーモン夫妻によってアルプス山中で発見された5000年前のミイラから、小麦種の外果皮が見つかり、アルプス周辺では新石器時代に小麦があったと確認されました(『5000年前の男」文春文庫)。はじめは土器に中に水とともに加え、パンかゆ状にして食べていました。紀元前2500年ごろのパンづくりの情報がミヒュルスベルグ文化の遺跡から数々読み取られました。穀物は小さな石器の鎌で刈り取られ、壷に蓄えられ、女達はひき臼でそれを粉にし、平焼きパン(直径20cm)を土器や皿の上で焼きました。当時のパン用穀物は、小麦、大麦、アワ、エンバク、ライ麦でした。しかし、パンを膨化する醗酵の知識はまだありませんでした。ヒトの多く集まる地域、すなわち巨大文化圏が発生するとそこで人々の知恵と欲望から製パン技術は前進してきました。古代エジプト、ギリシャ、ローマの国々での発展がそれです。
1、古代エジプトのパン
ナイル川流域の肥沃な地域に栄えた古代エジプトで、このパンの文化は大きく進歩しました。古代エジプトでは、麦は神オシリスと女神イシスが与えてくれた賜物で、人々はそれに対し労働で答えねばなりませんでした。エジプト人は1日平均3−4個のパンとビールを食していました。パンは子供の誕生に関する風習から、死者の埋蔵の儀式などにいたるまで彼らの生活面の全てに役割を持つ大切なものでした。更にパンは古代エジプトの経済生活を支配し、この国の繁栄に貢献していたと言っても過言ではありませんでした。古代エジプトのパンの種類は極めて多種多様で、紀元前12-13世紀のパピルス文書によると、その数は円形、長円形、三角形、花の形、河馬の形、寝そべった牛の形等30種類にものぼっていました。これらのパン型は、正に美術工芸品のようで、その美しさは今日でも及ぶものなしというほどの精巧さです。
2、古代ギリシャのパン
その後繁栄した古代ギリシャにおいても、パンは重要な食べ物でした。古代エジプト同様にパンは神々の賜物と考えられていました。アテネ国立博物館に行くと、エレフシスで発見されたという大きな石のレリーフ像があります。それは紀元前440-430年のもので、左側に善良な女神デメテル、右側にペルセファニ、そして真ん中にはケレオス王の子トリュプトレモスが立っています。トリュプトレモスはペルセファニから王冠をいただくとともに、女神デメテルからは麦の種子を受け取っています。
古代ギリシャの主食はマザイという平焼きパンで、材料は大麦を使い、熱したレンガ上に捏ねた生地を乗せて焼くもので、何百年間もこの扁平な大麦パンを食べていました。当時の製パン用穀物は小麦、レンズ豆、キビ、エンバク、大麦等でした。上等なパンにはチーズ、牛乳、アニスの実、胡椒、けしの実、蜂蜜、クリームなどを添加したものもありました。
醗酵パンがエジプトからギリシャに入ってきたのは、紀元前8世紀ごろと言われています。醗酵パンに必要なイーストは当時ズーメイと呼ばれたましたが、ぶどう酒とキビを混ぜ、多量の醗酵液にしたもので、これは1年間保存できました。
パン種は小麦粉生地に白ブドー酒を混ぜた生地を3日間ねかせて作り、乾燥後、貯蔵しました。醗酵パンを作る時にそのパン種を小麦粉とまぜました。紀元前6世紀頃には、こうして作った醗酵パンを、アテネの高官、市民、外国高官だけが、特別な祝祭日の公の宴においてたべることができるという法律がありました。
更にギリシャ人は炭酸ソーダを用いた製パン法も知っていたといいます。
ギリシャは芸術とともに、製菓、製パン技術の開花期でした。当時の詩人デニアスは、「我々はあらゆる種類の粉を滋味豊かな食物にする術を知った」と述べています。雪のごとき白いパンもあったといいます。
ギリシャには製パン業を商いにする人々がいましたが、製粉、製パンの仕事は全て男の仕事でした。パン生地を捏ねるような重労働時には笛の音に合わせて働きました。当時のパンには、エリテス、キュボイ、エピダイトロン、セサミテス、メリペクタ、クレイオン、エントリュプトン、キュリバナス、グロムス、パタラ等があり、その形は円形、リング上、花輪状、ロール状等いろいろでした。何れも日常生活のパンであるとともに、神々の礼拝の儀式にも欠かせないものでした。その中のキュリバナスなどは血液を用いたパンで、極めて儀式的なパンでしだ。しかしセサミテスのように蜂蜜や胡麻を塗って食べたり、クレイオンのように肉を入れた美味しそうなパンもありました。狩猟の女神への献げ物のパンとしてはクリーム、蜂蜜、胡麻入りで雄鹿の形をしたパンなどもありました。
3、古代ローマのパン
古代ローマにおいても、パンは神々の高貴な賜物と考えられていました。日常生活とパンとの結びつきは大きく、例えば結婚式の契りはパンを持って行われていました。パンは大麦パンを用い、そのパンをちぎって食する行為が二人の新生活の門出の象徴でした。それに対して「釜からパンの前借り」(婚前に子を生みたる娘)という言葉も残っています。当時のパン職人はギリシャからの移民でした。製パン所の裏庭には回転式の重い挽き臼があり、そこでは奴隷が牛馬のように酷使されていました。ローマでのパンの消費量は莫大なものであり、よく組織されたパン製造業者の同業組合もできていました。パン職人は、引っ張りだこで、高級年俸をとっており、この時代は製パン業界の黄金時代でした。
製パン所はローマの町だけでも254カ所あり、紀元前123年からはローマ市民36万人にパン、及び穀類の無料配給が始まりました。当時のパンとして、パニスホルデアキウス(奴隷の主食用)、パニスブレベイウス、パステイリ(甘いパン)、パニスフルフリュウス、パニスカンタブルム、パニスルビドウス、パニスキバリウス(配給用パン)、パニスフェルメンタトウス(醗酵パン)、パニスフルクスス、パニスエリクスス、コロナイ(花冠ロール)、パニスカンデドウス(最上級の精白小麦パン)等がありました。こうして発展したローマの製パン法は、遠く西ヨーロッパ、イギリスにまで広まりました。
4、中性初期から後期のパン
4−5世紀には民族大移動があり、ローマ帝国は滅亡しました。同時にローマ帝国に起った製パン技術も消失しました。その後の製パン発祥地は不明であるが、はじめて製パン業者に言及している記録文書は、717-719年のアレマニア法典です。その中に、「見習い、又は職人一人をかかえもつ料理人、ないし製パン職人が殺害されるときは、その職を継ぐ者40ソルドを納むベし」と書かれています。
中性初期の多くのパンには十時が刻まれているのが特徴的です。その目的は、パンを割りやすくするということもありましたが、それはキリスト教の印でした。当時からの言い伝えで、「パンは神様のお顔だから決して落としては行けません。ひろいあげたら直ぐに口づけしてあげないとイエス様やマリア様がお嘆きになりますよ」と人々は語り継いでいます。中性初期の製パンの発展は僧院に負うところが大きかったのです。僧院のパンは品質も良く、その種類が多かったのです。
製パン職人の組合組織に動きが見られたのは、フン族がヨーロッパ各地を荒廃し尽くした後で、すなわちヨーロッパに要塞都市建設が始まってからと言われています。
◯ パンのことわざ
額に汗して己のパンを得べし(旧約聖書)
人はパンのみにて生きるにあらず(新約聖書)
スイスのパン研究者Max Wahrenの著書 "Brot seit Jahrtausenden"「マックス バーレン著 パンの歴史」中のパンの写真は素晴らしく、機会あるごとにスライドにして学生に見せています。
同時に以下のような話をしております。すみません、今回はその話を。
元々、野生小麦の生えていたところは、ユーラシア大陸のど真ん中、中近東地域であったと言われています。今でも車でこの近辺を走ると、道路脇には背丈の低い、貧弱な野生の小麦が生えているといいます。小麦は何千年も昔、この近辺の人々によって栽培され、貴重な穀物として食されていただろうし、彼らはその小麦の持つ独特のおかしさ、つまりダンゴ状にしたり、延ばしたり、ちぢめたり、自由自在の形を変えられるということに気がついていたはずです。
そういうことで大切にされていた小麦が、人の集まる集落から次の集落へと次第に東へ、西へ、南へ、北へと伝わっていったのだと思われます。何百ー何千年の年月をかけて広がるうちに東の果ての中国まで来ると、小麦はメンの文化として開花し、西の方では古代エジプト、ギリシャ、ローマ等でパンの文化として開花してゆくのです。
遠く離れた東と西で、小麦は夫々メンとパンというように全く形の違う食品として開花したのは面白いことです。しかし何れも小麦の持つ独特のグルテンの性質を非常に巧みに利用し、片や極細の1本の糸として、片や薄膜のスポンジとして利用しているのです。
パンの歴史
パンの歴史は7000年もの長い歴史を持つといわれています。世界最古のパン焼き釜は古代バビロニアの首都バビロンで発見され、それは今から6000年前といいます。パンは白熱灰の中や、熱した扁平な石の上で焼いて食べていました。1991年、ジーモン夫妻によってアルプス山中で発見された5000年前のミイラから、小麦種の外果皮が見つかり、アルプス周辺では新石器時代に小麦があったと確認されました(『5000年前の男」文春文庫)。はじめは土器に中に水とともに加え、パンかゆ状にして食べていました。紀元前2500年ごろのパンづくりの情報がミヒュルスベルグ文化の遺跡から数々読み取られました。穀物は小さな石器の鎌で刈り取られ、壷に蓄えられ、女達はひき臼でそれを粉にし、平焼きパン(直径20cm)を土器や皿の上で焼きました。当時のパン用穀物は、小麦、大麦、アワ、エンバク、ライ麦でした。しかし、パンを膨化する醗酵の知識はまだありませんでした。ヒトの多く集まる地域、すなわち巨大文化圏が発生するとそこで人々の知恵と欲望から製パン技術は前進してきました。古代エジプト、ギリシャ、ローマの国々での発展がそれです。
1、古代エジプトのパン
ナイル川流域の肥沃な地域に栄えた古代エジプトで、このパンの文化は大きく進歩しました。古代エジプトでは、麦は神オシリスと女神イシスが与えてくれた賜物で、人々はそれに対し労働で答えねばなりませんでした。エジプト人は1日平均3−4個のパンとビールを食していました。パンは子供の誕生に関する風習から、死者の埋蔵の儀式などにいたるまで彼らの生活面の全てに役割を持つ大切なものでした。更にパンは古代エジプトの経済生活を支配し、この国の繁栄に貢献していたと言っても過言ではありませんでした。古代エジプトのパンの種類は極めて多種多様で、紀元前12-13世紀のパピルス文書によると、その数は円形、長円形、三角形、花の形、河馬の形、寝そべった牛の形等30種類にものぼっていました。これらのパン型は、正に美術工芸品のようで、その美しさは今日でも及ぶものなしというほどの精巧さです。
2、古代ギリシャのパン
その後繁栄した古代ギリシャにおいても、パンは重要な食べ物でした。古代エジプト同様にパンは神々の賜物と考えられていました。アテネ国立博物館に行くと、エレフシスで発見されたという大きな石のレリーフ像があります。それは紀元前440-430年のもので、左側に善良な女神デメテル、右側にペルセファニ、そして真ん中にはケレオス王の子トリュプトレモスが立っています。トリュプトレモスはペルセファニから王冠をいただくとともに、女神デメテルからは麦の種子を受け取っています。
古代ギリシャの主食はマザイという平焼きパンで、材料は大麦を使い、熱したレンガ上に捏ねた生地を乗せて焼くもので、何百年間もこの扁平な大麦パンを食べていました。当時の製パン用穀物は小麦、レンズ豆、キビ、エンバク、大麦等でした。上等なパンにはチーズ、牛乳、アニスの実、胡椒、けしの実、蜂蜜、クリームなどを添加したものもありました。
醗酵パンがエジプトからギリシャに入ってきたのは、紀元前8世紀ごろと言われています。醗酵パンに必要なイーストは当時ズーメイと呼ばれたましたが、ぶどう酒とキビを混ぜ、多量の醗酵液にしたもので、これは1年間保存できました。
パン種は小麦粉生地に白ブドー酒を混ぜた生地を3日間ねかせて作り、乾燥後、貯蔵しました。醗酵パンを作る時にそのパン種を小麦粉とまぜました。紀元前6世紀頃には、こうして作った醗酵パンを、アテネの高官、市民、外国高官だけが、特別な祝祭日の公の宴においてたべることができるという法律がありました。
更にギリシャ人は炭酸ソーダを用いた製パン法も知っていたといいます。
ギリシャは芸術とともに、製菓、製パン技術の開花期でした。当時の詩人デニアスは、「我々はあらゆる種類の粉を滋味豊かな食物にする術を知った」と述べています。雪のごとき白いパンもあったといいます。
ギリシャには製パン業を商いにする人々がいましたが、製粉、製パンの仕事は全て男の仕事でした。パン生地を捏ねるような重労働時には笛の音に合わせて働きました。当時のパンには、エリテス、キュボイ、エピダイトロン、セサミテス、メリペクタ、クレイオン、エントリュプトン、キュリバナス、グロムス、パタラ等があり、その形は円形、リング上、花輪状、ロール状等いろいろでした。何れも日常生活のパンであるとともに、神々の礼拝の儀式にも欠かせないものでした。その中のキュリバナスなどは血液を用いたパンで、極めて儀式的なパンでしだ。しかしセサミテスのように蜂蜜や胡麻を塗って食べたり、クレイオンのように肉を入れた美味しそうなパンもありました。狩猟の女神への献げ物のパンとしてはクリーム、蜂蜜、胡麻入りで雄鹿の形をしたパンなどもありました。
3、古代ローマのパン
古代ローマにおいても、パンは神々の高貴な賜物と考えられていました。日常生活とパンとの結びつきは大きく、例えば結婚式の契りはパンを持って行われていました。パンは大麦パンを用い、そのパンをちぎって食する行為が二人の新生活の門出の象徴でした。それに対して「釜からパンの前借り」(婚前に子を生みたる娘)という言葉も残っています。当時のパン職人はギリシャからの移民でした。製パン所の裏庭には回転式の重い挽き臼があり、そこでは奴隷が牛馬のように酷使されていました。ローマでのパンの消費量は莫大なものであり、よく組織されたパン製造業者の同業組合もできていました。パン職人は、引っ張りだこで、高級年俸をとっており、この時代は製パン業界の黄金時代でした。
製パン所はローマの町だけでも254カ所あり、紀元前123年からはローマ市民36万人にパン、及び穀類の無料配給が始まりました。当時のパンとして、パニスホルデアキウス(奴隷の主食用)、パニスブレベイウス、パステイリ(甘いパン)、パニスフルフリュウス、パニスカンタブルム、パニスルビドウス、パニスキバリウス(配給用パン)、パニスフェルメンタトウス(醗酵パン)、パニスフルクスス、パニスエリクスス、コロナイ(花冠ロール)、パニスカンデドウス(最上級の精白小麦パン)等がありました。こうして発展したローマの製パン法は、遠く西ヨーロッパ、イギリスにまで広まりました。
4、中性初期から後期のパン
4−5世紀には民族大移動があり、ローマ帝国は滅亡しました。同時にローマ帝国に起った製パン技術も消失しました。その後の製パン発祥地は不明であるが、はじめて製パン業者に言及している記録文書は、717-719年のアレマニア法典です。その中に、「見習い、又は職人一人をかかえもつ料理人、ないし製パン職人が殺害されるときは、その職を継ぐ者40ソルドを納むベし」と書かれています。
中性初期の多くのパンには十時が刻まれているのが特徴的です。その目的は、パンを割りやすくするということもありましたが、それはキリスト教の印でした。当時からの言い伝えで、「パンは神様のお顔だから決して落としては行けません。ひろいあげたら直ぐに口づけしてあげないとイエス様やマリア様がお嘆きになりますよ」と人々は語り継いでいます。中性初期の製パンの発展は僧院に負うところが大きかったのです。僧院のパンは品質も良く、その種類が多かったのです。
製パン職人の組合組織に動きが見られたのは、フン族がヨーロッパ各地を荒廃し尽くした後で、すなわちヨーロッパに要塞都市建設が始まってからと言われています。
◯ パンのことわざ
額に汗して己のパンを得べし(旧約聖書)
人はパンのみにて生きるにあらず(新約聖書)
日本食品科学工学会関西支部第44回シンポジウム "食と災害"に参加して
このシンポジウムが平成24年11月20日神戸女子大学三宮キャンパスで行なわれました。
内容は以下の通リでした。
東日本大震災:災害時に何が必要か (NPOキャンパー 飯田芳幸氏)
東日本大震災:食の支援がもたらすもの (セカンドハーベスト•ジャパン 井手留美氏)
東日本大震災:災害時の機能性食品の活用 (京都府立大学 木戸 康博氏)
パネルディスカッション
加齢と体温産生機能:中年太りの真相 (京都大学 河田 照雄氏)
先3題は東日本大震災に関連のもので、3名の先生方のたくさんのスライドで興味深いお話しでした。特に木戸先生のお話は大震災時の栄養士、管理栄養士の関連のもので、パネルディスカッションでは会場からいろいろ関連の意見交換がありました。河田先生のご発表は最新のBAT (Brown Adipose Tissue=褐色脂肪)の重要な情報でした。
パネルディスカッションでは以下のように感想を述べさせていただいた。
3•11の東日本大震災時に大活躍した自衛隊の皆さんの動きは逐次テレビで放映され、自衛隊なくして被災地の復興はあり得ないと大きな感動を受けました。大震災の汚れ役は何から何まで自衛隊という不埒な気持ちもありました。
国力をバックに、機動力、情報力、あらゆる機能を有する自衛隊組織の非戦争時のありがたさです。彼らの大きな力が今回の大震災には大変に活躍して多くの人々を救いました。炊き出しもそうです。震災時、現場での自衛隊には食糧は豊富にあったようです。しかしNPOキャンパー飯田芳幸氏によると、自衛隊は十分な調理方法、栄養的知識を持ってなかったようでした。
一方、木戸先生によると、この自衛隊の活躍とは別に栄養士、管理栄養士の組織の活躍も大きなものがありました。
しかしこの自衛隊のもつ情報、物資、行動力と、栄養士、管理栄養士の組織の動きはうまく合致していなかったのではないでしょうか。全国から大量の支援物質が被災地に届き、学校体育館などには山のように保管されていました。スライドによるとカルトンケースの山です。箱には何が入っているのか、どのような人に有効に使えるのかなど一切明記されていません。その現場にはその整理、チェック、配布する人はだれもいなかった様です。そこでも栄養士の活躍が生かされなかったと悔いておられました。
自衛隊にも栄養士、管理栄養士はいるでしょうが、それは常時の日常業務のための人で、隊員の栄養管理、食事配膳業務でしょう。
以前、社会人入学で女性自衛隊員が本学を受験したことがありましたが、面接時に彼女が言うのには、自衛隊員の食事は内容は男女隊員の区別なく、ハイカロリーで多量の食事が出ます。これには女子隊員として絶えられないというような話がありました。
この無神経さは、やはり東日本大震災ときに自衛隊は被災者に対応してもあったのではないでしょうか。自衛隊はかなり奥地までその援助に入り込み、必死の救援活動にあけ暮れたことでしょう。多くの人がこれで救助されたことでしょう。このとき、栄養士、管理栄養士の組織がこの自衛隊の動きとうまく合致して、その自衛隊チームの中に栄養士、管理栄養士の1名でも2名でもいたら、チームの行動は非常に有効に効いたのではないでしょうか。
パン、菓子、おにぎりばかりの非常食、炊き出しに「また豚汁か」という言葉がささやかれたようです。非タンパク質、非繊維質、非ビタミン類の連日の食事の中で栄養士、管理栄養士らのもつ献立が全く生かされていなかったのでしょう。じわじわとその栄養アンバランスが被災者の健康にあらわれてくるのは時間の問題でしょう。
自衛隊の活躍するチームの中に栄養士、管理栄養士等が自衛隊員同様ヘルメットをかぶり同様の服装して、DIETITION(栄養士)のマークを付けて食事を担当して活躍したら大きな貢献が出来たでしょう。世の中に知らない人のいっぱいいる栄養士、管理栄養士というものの存在を、大いにアピールできたのではないだろうかと強く感じました。こんなことは禁句かもしれませんが、この非常時に栄養士、管理栄養士というものの存在を大いにアピールできたのではないでしょうか。このような機会にこそ表面に出るべきだったと思いました。
自衛隊、栄養士、管理栄養士合同の国家的組織でこの緊急の難局時に対応すべきではかったのではないでしょうか。こんな組織は常時には必要ないが、この3•11のような緊急時には緊急に組織化して被災者に対応すべきだったのではないかとつくづく思いました。
管理栄養士がもっと必要ならばもっと管理栄養士を作るべきです。常時は普段の仕事をし、滅多にはおこらない緊急時には迅速に組織化して行動出来る組織です。このように考えると、栄養士、管理栄養士は更に細分化し、いろいろな栄養士、管理栄養士を作ることも大切です。今回の東日本大震災を機会にこのような栄養士、管理栄養士のあり方、国家的な組織化を考えるべきと思いました。
栄養士、管理栄養士の社会的認識度はまだまだ低い、しかしながら社会の中での重要性はきわめて大きいと本学会で意見を述べました。
平成24年度応用糖質学会中国四国支部シンポジウムでの講演について
昨年(2011) 、アメリカ、カリフォルニア洲パームスプリング市でのSRT(Starch Round Table)、AACCI (America Association of Cereal Chemistry International) 大会時にご一緒した林原(株)の渡邊 光氏から、今年福山市(福山大学宮地茂記念館)で行なわれる応用糖質学会中国四国支部シンポジウム(11/16-17)での講演を依頼されました。
1時間の長時間の講演のため内容を少々盛りだくさんにするということで、いろいろ作戦を練りました。これまで進めてきた冷凍ドウによる製パン性劣化、そのメカニズム、最近の劣化回復のための多糖類添加の研究を講演しました。これは研究生の森元さんが行なってきた仕事です。
冷凍ドウによる製パンは、1960年頃にアメリカの企業から始まり、目下世界中で広く使われているやり方です。まず全て成分の入ったパンドウを作り、その冷凍ドウを各家庭に配り、自宅で焼いてフレッシュなものをたべてもらおうというのが目的です。
しかしこの冷凍ドウによる製パン性には問題がありました。それはパンの膨らみが低下するという最大の欠点です。森元さんは、2003年ごろから冷凍ドウによる製パン性劣化の改良研究をはじめ、少しずつ前進してきました。はじめ研究の糸口になるものはないかと追求しました。
いろいろトライアルするうちに、冷凍ドウは解凍するとそのドウ表面がぬれることに気付きました。解凍ドウ表面は未冷凍ドウに比べ、水がにじみ出てくるのです。それがどうも製パン性劣化と関係がありそうだと彼女は推測し、そこに研究のポイントを絞りました。
ドウを冷凍解凍すると製パン性は低下し、パン高、比容積は落ちます。その時同時にドウ表面に水分が滲んでくるのです。このにじんで来る液量を測れないだろうか?ドウを遠心分離して、遠沈管を45度の角度に傾け、コールドルームで30分間放置して上清液を測定しました。
冷凍解凍ドウの製パン結果とこの上清液(mL)との間には高い相関がありました。小麦粉の種類を変えても同様の結果が得られました。このため彼女は上清液の染み出てくることが製パン性劣化の原因と大きく関係のあることを確認しました。
冷凍解凍したドウから水が離れてしまうと、解凍後には水はもとの場所には戻らなくなりますが、それが原因なのでしょうか。
そこでベーキング方法の中に冷凍ステップを差し込んでその効果を調べました。
まず第一に、イーストのみを水に懸濁し冷凍解凍処理を行いました。しかしこのイーストは製パン性劣化には関与しませんでした。次にイーストを入れないミックス(小麦粉、水、砂糖、塩)も冷凍解凍し、そこにイースト入れて製パン試験をしましたが劣化しませんでした。次にこのミックスにイーストをいれて冷凍解凍処理しても劣化しませんでした。このことからイーストの入ったミックスは冷凍解凍処理してもパンは劣化しませんでした。
ドウの製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵等)を終え、オーブンに入れる直前のドウを冷凍解凍処理すると製パン性は劣化しました。
この製パン性劣化を起こす解凍ドウに、砂糖、あるいは砂糖+イーストを入れ、同一製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵)を再度行ない、ベーキングすると、砂糖を入れたものは製パン性劣化しましたが、砂糖+イーストを入れたものは劣化が消えました。よく膨らみました。
冷凍前に供給した砂糖はイーストにより消費され、イーストも死滅したりで残存のイーストは期待できません。そこで新たに入れた砂糖、イーストから生じる炭酸ガスは十分に製パンに使われました。
しかしこの製パン回復条件に必要な製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵)のうち第1次醗酵、撹拌のプロセスを除くと製パン性劣化が起りました。
これは冷凍解凍で分離した水を再びドウ中でレミックス(再撹拌)することで、水を元の場所に戻すことが必要ということです。水が元のドウの状態に回復すれば、そしてそれが新しいガスで膨張すれば、製パン性劣化は消えるということです。
このレミックスで製パン性の戻ったドウを筒の中に入れ、筒の上部から減圧でひっぱった時にドウは伸張して、未冷凍のドウと同様の伸張を示しました。解凍ドウそのままは伸張しません。
このように氷結晶を作ることでドウから水が分離し、ドウは伸張性を失ってパンが膨れなくなったと考えました。
この冷凍による水の移動をどう防ぐかが次の大きな研究テーマとなります。
ドウ中の水の保持性の問題です。このとき三栄源(株)から出している雑誌(食品•食品添加物研究誌、FFIジャーナル)に面白い冷凍食品の記事がありました。森元さんと相談しそこで使われているものを冷凍ドウにテストしようということになりました。そのサンプルをいただいて早速試験しましたがうまくゆきませんでした。
三栄源エフ•エフ•アイの長谷川氏に「こんな時に面白いサンプルはないでしょうか?」と厚かましく質問しました。13種類の多糖類サンプルを送っていただきました。これらをドウに5%ほど片っ端から入れ、冷凍解凍の製パン試験を行ないました。その中、キサンタンガムという多糖類が特に特徴的で、パンは良く膨れました。他のものは余り大きな効果はありませんでした。このキサンタンガムは微生物多糖類で、胞子の構成成分です。冷凍しても、乾燥しても、微生物を守るようになっているのでしょう。
この物質は、セルロースのような多糖類にマンノースがいくつかぶら下がっていて、そのマンノースがさらに修飾されているといった、極めてユニークで面白い物質です。
純度の高い試薬キサンタンガムを購入し、5%ドウに入れると冷凍解凍ドウでよく膨化したパンが出来ました。解凍後、ドウから水も分離しません。成書によるとキサンタンガムはダブルへリックス構造をしていて、そのヘリックスの間に水分が抱え込まれ、分離しなくなると記載されております。冷凍によって水が簡単には分離しないのです。
これらの話をスライド37枚で話しました。
1時間の長時間の講演のため内容を少々盛りだくさんにするということで、いろいろ作戦を練りました。これまで進めてきた冷凍ドウによる製パン性劣化、そのメカニズム、最近の劣化回復のための多糖類添加の研究を講演しました。これは研究生の森元さんが行なってきた仕事です。
冷凍ドウによる製パンは、1960年頃にアメリカの企業から始まり、目下世界中で広く使われているやり方です。まず全て成分の入ったパンドウを作り、その冷凍ドウを各家庭に配り、自宅で焼いてフレッシュなものをたべてもらおうというのが目的です。
しかしこの冷凍ドウによる製パン性には問題がありました。それはパンの膨らみが低下するという最大の欠点です。森元さんは、2003年ごろから冷凍ドウによる製パン性劣化の改良研究をはじめ、少しずつ前進してきました。はじめ研究の糸口になるものはないかと追求しました。
いろいろトライアルするうちに、冷凍ドウは解凍するとそのドウ表面がぬれることに気付きました。解凍ドウ表面は未冷凍ドウに比べ、水がにじみ出てくるのです。それがどうも製パン性劣化と関係がありそうだと彼女は推測し、そこに研究のポイントを絞りました。
ドウを冷凍解凍すると製パン性は低下し、パン高、比容積は落ちます。その時同時にドウ表面に水分が滲んでくるのです。このにじんで来る液量を測れないだろうか?ドウを遠心分離して、遠沈管を45度の角度に傾け、コールドルームで30分間放置して上清液を測定しました。
冷凍解凍ドウの製パン結果とこの上清液(mL)との間には高い相関がありました。小麦粉の種類を変えても同様の結果が得られました。このため彼女は上清液の染み出てくることが製パン性劣化の原因と大きく関係のあることを確認しました。
冷凍解凍したドウから水が離れてしまうと、解凍後には水はもとの場所には戻らなくなりますが、それが原因なのでしょうか。
そこでベーキング方法の中に冷凍ステップを差し込んでその効果を調べました。
まず第一に、イーストのみを水に懸濁し冷凍解凍処理を行いました。しかしこのイーストは製パン性劣化には関与しませんでした。次にイーストを入れないミックス(小麦粉、水、砂糖、塩)も冷凍解凍し、そこにイースト入れて製パン試験をしましたが劣化しませんでした。次にこのミックスにイーストをいれて冷凍解凍処理しても劣化しませんでした。このことからイーストの入ったミックスは冷凍解凍処理してもパンは劣化しませんでした。
ドウの製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵等)を終え、オーブンに入れる直前のドウを冷凍解凍処理すると製パン性は劣化しました。
この製パン性劣化を起こす解凍ドウに、砂糖、あるいは砂糖+イーストを入れ、同一製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵)を再度行ない、ベーキングすると、砂糖を入れたものは製パン性劣化しましたが、砂糖+イーストを入れたものは劣化が消えました。よく膨らみました。
冷凍前に供給した砂糖はイーストにより消費され、イーストも死滅したりで残存のイーストは期待できません。そこで新たに入れた砂糖、イーストから生じる炭酸ガスは十分に製パンに使われました。
しかしこの製パン回復条件に必要な製パン行程(第1次醗酵、撹拌、2次醗酵)のうち第1次醗酵、撹拌のプロセスを除くと製パン性劣化が起りました。
これは冷凍解凍で分離した水を再びドウ中でレミックス(再撹拌)することで、水を元の場所に戻すことが必要ということです。水が元のドウの状態に回復すれば、そしてそれが新しいガスで膨張すれば、製パン性劣化は消えるということです。
このレミックスで製パン性の戻ったドウを筒の中に入れ、筒の上部から減圧でひっぱった時にドウは伸張して、未冷凍のドウと同様の伸張を示しました。解凍ドウそのままは伸張しません。
このように氷結晶を作ることでドウから水が分離し、ドウは伸張性を失ってパンが膨れなくなったと考えました。
この冷凍による水の移動をどう防ぐかが次の大きな研究テーマとなります。
ドウ中の水の保持性の問題です。このとき三栄源(株)から出している雑誌(食品•食品添加物研究誌、FFIジャーナル)に面白い冷凍食品の記事がありました。森元さんと相談しそこで使われているものを冷凍ドウにテストしようということになりました。そのサンプルをいただいて早速試験しましたがうまくゆきませんでした。
三栄源エフ•エフ•アイの長谷川氏に「こんな時に面白いサンプルはないでしょうか?」と厚かましく質問しました。13種類の多糖類サンプルを送っていただきました。これらをドウに5%ほど片っ端から入れ、冷凍解凍の製パン試験を行ないました。その中、キサンタンガムという多糖類が特に特徴的で、パンは良く膨れました。他のものは余り大きな効果はありませんでした。このキサンタンガムは微生物多糖類で、胞子の構成成分です。冷凍しても、乾燥しても、微生物を守るようになっているのでしょう。
この物質は、セルロースのような多糖類にマンノースがいくつかぶら下がっていて、そのマンノースがさらに修飾されているといった、極めてユニークで面白い物質です。
純度の高い試薬キサンタンガムを購入し、5%ドウに入れると冷凍解凍ドウでよく膨化したパンが出来ました。解凍後、ドウから水も分離しません。成書によるとキサンタンガムはダブルへリックス構造をしていて、そのヘリックスの間に水分が抱え込まれ、分離しなくなると記載されております。冷凍によって水が簡単には分離しないのです。
これらの話をスライド37枚で話しました。