瀬口 正晴の最近のエントリー
2017年5月25日 08:56 ( )小麦グルテンによるセリアック病患者は日本にいないのではないか。
先日の日本穀物科学研究会で、「小麦グルテンによるセリアック病患者は日本にいないのではないか」と質問がありました。それに対し以下のような話をしました。
グルテンには分子量の小さなグリアジンと分子量の大きなグルテニンがあります。各分子量は3〜8万、20万〜数百万です。グリアジンはドウにねばりを与え、グルテニンはドウに力を与え、引っ張ったときに元に戻ろうとする力を示します。両者混合してドウに粘弾性を与えています。この性質を利用して、パン、麺を食べてきました。これが食品を扱う我々のグルテンに対する認識です。
小麦粉加工食品を食べた時、からだの中にグルテンが入って来ます。小麦粉中にはグルテンタンパク質が含まれてます。
タンパク質は20種のアミノ酸からなっていて,グルテンタンパク質にはそのうちプロリン、グルタミンが高含量に含まれているのが特徴です。人はタンパク質を消化するプロテアーゼを体に持っていて、これでほぼ完全にアミノ酸まで消化し、体内に吸収してエネルギー、あるいは体組織形成に用いています。
しかし、人によってはこれをアミノ酸レベルまで分解しきれない人がいます。小さなサイズまでグルテン分子を分解できれば問題ないのですが、そうできない人がいます。そのひとにはこれらのアミノ酸を含むペプチドが残存するわけです。アメリカ、ヨーロッパの人の中で約1−10%いると言われています。小麦加工食品を食べた場合、その人にはプロリン、グルタミンを含むペプチドが残ります。
この場合、これらペプチドは消化管で吸収できずにそのまま消化管を流れてゆき、対外へ排出されれば問題ありません。しかし、ある場合は排出前に腸内微生物により利用されることもありましょう。微生物により利用されれば、乳糖不耐症のようにグルテン不耐症となり、ガスが腸内に発生し膨満で苦しいことがあります。それがグルテン不耐症です。消化管の関与する病気です。
グルテンが分解されずに異物のタンパク質として認識され、アレルギー反応も起こります。ヒスタミン、セロトニンなどの生理活性物質により、血管拡張や血管透過性亢進などが起こり、浮腫、掻痒などの症状があらわれるのです。グルテンアレルギー、小麦アレルギーはこれまで述べたペプチドの話ではなくグルテンタンパク質の話です。
話をペプチドにもどします。
プロテアーゼで分解を受けたプロリン、グルタミンを含むグルテンは、ペプチドとして小腸に達し、小腸の絨毛などに残存するものがでてきます。
小腸粘膜を覆う上皮細胞は1個ずつ並んで互いにくっついて外部のものは内部に入らないようになっていますが、このペプチドの刺激によって上皮細胞間に隙間ができ、これらのペプチドは腸内部に入り込みます。これは腸管に隙間を作るゾヌリンが原因です。
小腸の内部に入ったペプチドは、腸内部の組織トランスグルタミナーゼという酵素によって、そのペプチド分子の形を変えます。形を変えることで、抗原提示細胞であるHLA細胞の1つ、HLA-DQ2細胞、あるいは-DQ8細胞に結合する様になります。組織トランスグルタミナーゼで変形したペプチドは、このHLA細胞とともにヘルパーT細胞に異物として認識され、抗体により破壊されます。同時に、ヘルパーT細胞は、その情報をもとにケモトカイン、サイトカインを作り、小腸粘膜を攻撃します。次第にこうして絨毛のついた小腸細胞が壊されてゆくきます。関与したキラーT細胞、B細胞も小腸粘膜を破壊します。これが自己免疫疾患です。
本来小腸の絨毛は重要な器官で、食べた栄養分はこの絨毛から肉体中に取り込まれます。この部分が異物とともに人の体からは除去されてしまうと、その結果、人の絨毛は完全に除去されてのっぺらぼうの小腸表面になってしまい、絨毛がなくなると、栄養分の吸収できなくなります。人の成長は止まってしまいます。生きてゆけないという状況です。絨毛損失は、口からの内視鏡検査(ゴールドスタンダード)で調べます。この病気をセリアック病といってます。現在その治療法は小麦、大麦、ライ麦等を食べない治療法、即ちグルテンフリー食事しかないのです。
こうして見ると、グルテンに関与する病気には3つありそれぞれ異なった病気です
(1)セリアック病
(2)グルテンアレルギー
(3)グルテン不耐症
信州大学からの報告によると、700名余の日本人調査の結果、約1%の人がセリアック病に疑わわれるといいます。これはアジア地区の人の結果を調べた初めてのデーターです。日本人は米食のため安心といわれ、あるいはプロリン、グルタミンを含むペプチドが、組織トランスグルタミナーゼで構造が変えられ、それを受け止めるHRA -DQ2 あるいは-DQ8 のない人種と言われて安心と言われてますが、メカニズムのはっきりしていない病気である以上安心できません。
「先任将校 軍艦名取短艇隊帰投せり」松永市郎著(光人社NF文庫)を読んで
戦争中の兵糧食、乾パンに興味を持つうちに、本「先任将校」に出会った。第二次世界大戦中の日本海軍の軍艦「名取」が米軍により雷撃され沈没した。太平洋に放り出された軍人のうち,195名がカッター3隻に分乗し、一人のリーダーと数名の副リーダー(著者ら)の下で10日間あまり、洋上をカッターで乗り切り、無事全員フィリッピンにたどり着くまでの様子を書いた本である。
手持ちの乾パンを30
日間に食い延ばすため、食事は朝晩2回とし、各人1回に一枚しか乾パンは食べられない。一枚3グラムの乾パンを、一日に合計2枚しか食べられなかった。乾パンは一袋に20枚はいっていたから、ひと袋を20人で分けていたが、この袋の片隅に小さな金平糖が2個入っていた。この金平糖を20人でまわしなめをするわけにもゆかないので、一応、回収して保管しておき、スコールが永く続いた後か、疲労の激しいときにこの金平糖を水筒の水に溶かし、砂糖水にして回しのみしたという。この砂糖水は、カッター生活にアクセントをつけたし、大きなはげみにもなったという。現在の乾パンにも入っている。乾パンなどの非常食に、金平糖をつける絶妙のコンビネーションである。
日中は暑いので船の中で体力を消耗しないようにし、夜間に舟をこいだようだ。はっきりした目に見える物もなく、リーダーの指示に従った日本海軍の兵士の物語であった。驚くのは、暴力と権力で統制された日本軍の中で、きわめて教養を必要とする生死を分かつ危険なこのような場面、よくこれら軍人集団を統制して乗り切ったものだという印象である。カッター内での反乱も起こったはずだ。よほどのリーダー、副リーダーたちのインテリゲンスが混乱を押さえはずである。本文からは全く読みとれなかった。著者は、リーダー存命中数十年間、彼の名前を本の中で明かさなかったという。
ガゴメ昆布パンについて
ガゴメ昆布パンについて
昆布の粘りをグルテンフリーパンに用いました。特に粘りの大きいガゴメ昆布に注目しました。
ガゴメ昆布とは北海道函館地方の昆布で、その存在が余り広く知られていませんでした。明治35年に宮部金吾氏により発見された昆布で、その表面に凹凸のある形態で、真昆布と明らかに違っています。
他の昆布より粘りの強いこと、さらに健康面からも関心がもたれるようになりました。その粘り成分はアルギン酸20-30%、ラミナリン4-4.5%、フコイダン4-5%であると言われています。
数年前からグルテンフリーパンの食材としてこの強い粘りに関心を抱いていました。学部の学生に実験やらせていましたが、なかなかうまくゆかず、パンは膨化せずに難渋していました。
非常に粘るため、これまでのバナナパン、ジネンジョパン(各パンでは、パン1個にバナナ30g、ジネンジョ10gを用いた)と同じようにパン1個に数十グラムというわけにゆきませんでした。大学院生の井関さんがこのテーマに取り組みました。
井関さんは、1個のパンに用いるガゴメ昆布量をどんどん減らしたのです。300mgの少量のガゴメ昆布を用いることにより製パンに成功しました。ガゴメ昆布300mg、小麦デンプン30.2g, 砂糖8.81g、コンプレストイースト10g、水22.0mLの配合でした。
これまでのバナナパンは、パン1個に対しバナナ30g, 小麦デンプン30g、砂糖8.86g、コンプレストイースト10gと水50mLの配合で製パンはできました。ジネンジョパンは、ジネンジョ10 g, 小麦デンプン30 g, 砂糖8.86 g, コンプレストイースト10 g, 水 20 mLの配合で製パンが可能でした。
ガゴメ昆布の使用量は非常に少なくてよく、パンの香り、クラム色等への影響はきわめて少なく、粘性素材としては極めて有効な物と思われました。
このガゴメ昆布を水とともに撹拌後、遠心分離して上清区分と沈殿区分に分けると、この製パン性は上清区分(3000rpm)にあり、沈殿区分にはありませんでした。前述の多糖類が水溶性であることから、これらの多糖類との関連性がうかがわれました。
この上清液は水に対して透析してHMW(高分子区分)区分とLMW(低分子区分)区分に分けることができます。夫々を凍結乾燥後、製パン試験を行うと、HMW区分のみが製パン性を示しました。
上清液は色、粘性等から2層に分離しました。その上部は黄色がかった透明の層で、その下にダークの粘性ある層がきます。明らかに分離できるのでこれら2つの層に分け、夫々凍結乾燥後、製パン試験を行うと、下層の方が多少製パン性は劣りましたが、何れもよく膨化しました。
この上清区分は120℃, 90分間熱処理すると、これらの多糖類を含むガゴメ昆布は粘性を失いました。普通この程度の加熱(湿性)で多糖類は粘性を失うでしょうか。ガゴメ昆布によるグルテンフリー膨化食品の可能性をお伝えしました。
久しぶりのシュリーマン
今年
(2016年) 4月にトルコ・イスタンブールでの第4回国際パン学会に出席してきた。学会の時間を見てイスタンブールの国立考古学博物館(アルクオロムゼマイ)へ行き、メソポタミア文明の古代遺跡の展示を見て歩くうちに、シュリーマン(ハインリッヒ・シュリーマン)の写真の展示コーナーがあった。
シュリーマンが異国語を僅か数ヶ月でマスターしたという話を学生のころに読んだことが思い出された。さらにトロイ遺跡の発掘の業績なども知っていた。懐かしい場面であった。
帰国後、シュリーマンの事が気になってマックで調べてみると、何と奈良の天理大学にシュリーマンの資料、シュリーマンの発掘の記録データ(その頃は写実、手書きの記録など)が所有されており、つい最近まで天理市天理参考館で公開中だった。すぐに問い合わせたところ、その展示はすでの終了しており、日本各地で開催中とのこと、来年名古屋で行う(今年12月-明年1月)という。名古屋での展示会を見たいものである。
その際、学芸員の方から最近天理大学付属天理参考館が編者となって山川書店からシュリーマンの業績を出版した(「ギリシャ考古学の父 シュリーマン」)と伺った。新しい情報の多くをのせてあるのでこれを見て欲しいとのことであった。直ちに書店から取り寄せた。シュリーマンの有名な「古代への情熱」も関 楠生訳を新たに入手した。さらに天理大学紹介の本から、シュリーマンが江戸時代末期に中国・日本を訪問した際の本が石井和子氏の翻訳で読む事ができること知った。この本、「シュリーマン旅行記 清国・日本 石井和子訳」も入手した。
3冊の本を読み進めるうちに、再度トルコ・イスタンブールから入って、トルコチャナッカレ・ヒサルックの丘のシュリーマンの遺跡発掘現場を見たいと思った。そこにはトロイ考古学博物館ができているようだ。彼が自らほじくった土をいじってみたいと思ったからである。さらにギリシャアテネの彼の最後の自宅(アテネ貨幣博物館)も見たい。そこには「休養は次の仕事に大切。しかしねすぎないように。」と古代ギリシャの言葉があるようだ。
興味深かったのは「シュリーマン旅行記、清国・日本 石井和子訳」であった。その翻訳は丁寧に、正確にすすめられていて、シュリーマンの性格、几帳面さ、探求心、まじめさ、研究者としての客観性など多くのものがこの本から読みとれた。訳者石井氏は、御子息がフランスから持ち帰ったシュリーマンのこの貴重本を訳されたものである。
西洋とは異世界の当時の日本を、シュリーマンは単なる興味本意からではなく、きわめて客観的態度でするどく観察、記録している。現在の日本人が、ともすると時間とともに忘れている昔のことなどもそこには正確に記録されている。
その中にはパンのことも数回出てはくるが、当時の日本人の中にはパンは全く入り込んでいない。そのかわりすばらしい清潔な食品、米のことがでてきて、日本人はこれを食べていると。家族で正坐して、はし、茶碗など使い食事している。机も椅子もないきわめて簡潔な規則正しい畳の生活が日本人の生活様式であると述べられている。家政学の原点が読み取れる。
やっと日本が開国の兆を示しつつある時、ヨーロッパのある旅行会社が日本旅行のルートを開拓した。金さえあれば誰でも日本を訪れる事のできることを知ったシュリーマンは中国・日本の探索旅行を思い立ったのである。
ぴりぴりとした非常に危険な日本(江戸幕府)の、しかもそのど真中、江戸への訪問を思い立ったのだ。彼を動かした探究心はその後のトロイ遺跡発掘につながってゆく。大金を使って何の役にも立たない、ただ好奇心からだけで日本にまでやってきて短時間の訪問記であった。
横浜に上陸し、そこからアメリカ合衆国全権公使ポートマン氏を使ってやっと江戸訪問をかなえる事ができた。当時の将軍徳川家茂の行列一行の見学もし,その将軍の顔を直接見ているのである。将軍の顔は「美しい顔であった」と記録している。行列の事細かな事ものべ、行列の過ぎ去った後に残された殺戮場面なども述べている。将軍の行列と知らずに、横切ろうとしたものと思われる。その野蛮さはアステカ王国の奴隷を生きたまま心臓をえぐり出す野蛮さと同じで、やはり整然とした秩序の裏側の残虐性は江戸時代の日本も同じであろう。
印象的だったのは、いろいろやってもらって、心付け(現金)を日本の役人にシュリーマンがわたそうとする場面である。日本人の役人はそれをこばんで、そんな事するならば切腹を選ぶといったという。「日本人に対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金をおくることであり、またかれらの方も現金を受け取るくらいなら切腹を選ぶのである。」と記述されている。当時の日本にはその様な常識があったのである。価値観念が金ではなく、自己の心意気であり、その心意気と行為との交換である。今はビジネスの社会、お金で対価を支払うと言うのが常識となっている。昔の日本はそうではなかったのである。
幕末のころの日本を詳細にシュリーマンが観察して記録している。その彼の意気込みはすごく、何から何まで記録するのだといい、最大漏らさず記録しているのである。例えば早朝に仏教行事が行われると聞くと、それに合わせて出かけてゆき、きちんと記録している。シュリーマンのこういった姿勢はきわめて研究者的である。
「私はこの寺でもまた、「唐人! 唐人!」と叫ぶ大群衆に付きまとわれた。」という。外国人に対する日本人の好奇心の強さも記録している。
日本人に皮膚病の患者の多い事を述べている。自らもうつされることを気にして、荷役の業者の選択には彼らの手を見てから疥癬のない業者を雇っている。気になるのは、清潔な日本の中でなぜこの皮膚病が多いのかと述べている。日本人は毎日風呂に入り清潔なのに、なぜこのような疥癬が多いのか気にしている。彼の結論は、日本人は常に刺身を食べているがそれが原因だろうと推論している。面白い着眼点である。
健康第一を何よりも大切にしていた彼は、海水浴を唯一の健康法と信じ、夏は早朝4時、秋冬も5時の水浴を欠かさず、その為に耳疾を悪化させ、ついには命を落としている。常に自己に厳しく最後まで考古学のために身命を賭した壮絶な戦いの生涯であったことを思うと襟をたださずにいられない。
食事で給仕してくれた10代の日本女性についても、「目のさめるような美しくてうら若い十二歳から十七歳の乙女たちが給仕をしてくれる。」とその美しさに驚いている。本当だろう。
この本、「シュリーマン旅行記、清国・日本 石井和子訳」、ご一読あれ。
管理栄養士が博士になりました。
森元さんの食物栄養学博士の仕事が全て終了したのでこうして彼女の事を書いています。
森元さんは13年前、私のゼミで卒業論文を終了し、そのまま大学院 (修士課程)を終えて社会に出た後、さらに私のところで研究を続けてきたヒトです。
彼女は生まれつき難聴のハンデイを持っていて、声を聞き取りにくいところがありましたが、大学の授業ではノートテーカーなどのない時代、他人のノートを借りながら勉強してきました。性格は明るく、後でわかったのですが、お母さんの生き写しの様なヒトで、多分彼女のすべてを母親がバックアップし、お母さんの言う通りに生きてきたのではと感じられました。森元さんは自らのハンデイを背負いながら、世の中に対してぶちぶちと文句を漏らすようなヒトではありません。
彼女の卒業論文の仕事は、それまで大学院で仕事を進めていた二階堂さんの手伝いのような仕事でした。すでに二階堂さんはほぼ論文1報分をまとめていました。この二階堂さんの仕事をバックアップしながら自分の仕事として進めてきました。
その仕事とは製パンに用いられている冷凍ドウの仕事でした。
会社での仕事をやりながら、毎週土曜日には大学にでてきてこの仕事を続けました。
そのままオーブンで焼けばパンができあがるパンドウを作り、このドウを−20℃に放置して冷凍するのが冷凍ドウです。この冷凍ドウを必要な時に取り出し、解凍後オーブンで焼くのです。時間のかかる製パンにとって、大変に便利な加工方法です。しかしまともなパンは得られません。
森元さんはその原因を細かく調べ、うまく製パンの進まないメカニズムを解明しました。さらにそのメカニズムに基づいて、ドウにあるものを加え、冷凍ドウでも製パンに使えるようにしたのでした。あるものとはキサンタンガム、グアガム、ローカストビンガムの多糖類でした。
森元さんは、Cereal Chemistryに2報、FSTR(Food Science and Technology Research.)に1報の英文論文(フルペーパー)3報を書きました。この仕事に対し、神戸女子大学は食物栄養学博士の学位を与えました。学位論文"Breadmaking Properties of Frozen-and-Thawed Bread Dough" は、英文で58ページにわたる堂々たるものでした。
これで管理栄養士をもった博士が一人誕生いたしました。
トルコ・イスタンブールでの15回国際パン会議の報告
第15回トルコ・イスタンブールでのICBC(International Cereal Bread Congress)に参加発表した。近くなってイスタンブールでの自爆テロ事件(3/21/016)等があり、開催前しばしば連絡があり、トルコのイラン・イラク・シリア近くには旅行しないように連絡があった。それを受けながらも参加してきた。4/15-4/22の1週間であった。
以下の様であった。
トルコの飛行場(アタチュルク空港)は24時間オープンで、関空からはトルコ航空が1日1便飛び、関空を夜中(21:30)に出発してイスタンブールには深夜の4:35に到着する(12時間)という有様である。そこからイスタンブールのホテルまでタクシーで120トルコリラである。ホテルはイステクラーク通リから数通リ奥に入ったアリオンホテルという安ホテルで(洞窟部屋)1泊4千円(朝食つき)であった。早朝にホテルに入り、シャワーを浴びて洗濯して寝た。8時には朝食があるというのでこれに間にあわせて起きた。ベッド、部屋は比較的きれいであった。夜中、タクシーをおりてからホテルに入るまで、何やら夜中なのにヒトがごそごそいて薄気味の悪い通りだった。あとからわかったが、その辺は食堂街であり、トルコ人がそこでたむろして食事していたのであろう。トルコ人は酒を飲まないのか、酒でトラブルを起こす様な感じはなかった。しかし何やら落ち着かぬ雰囲気のホテルだった。
16 日(土曜日);ここからICBC会場の軍事博物館(アスケリ・ミュゼスイ)までは2キロと近いと聞き、日本からgoogle mapでその周辺の地図を作ってきたが、朝食後ホテルの男に場所を訪ねた。軍事博物館に行きたいと。「ホテルを出て、イステイクラール通リにでて、Dホテルを目指せ」と言った様だった。
ホテルを出て、当日16日はまだ何も会議はないが、その会場の場所確認のため歩を進めた。イステイクラール通リにでて、地図のように向かうと、タクシム広場に出た。その広場の中央には大きな兵士彫刻立像があった。このイステイクラール通リには市電が走っていた。まずホテルへの帰り道の確認だ。市電のレールを頼りにしてそのタクシム広場からDという大きなショッピングセンターを目指してゆき、そこを左に入って8−の通りを右に入ってホテルアリヨンに到着する事を確認した。タクシム広場にもどり軍事博物まで進んだ。わかりにくいところだ。
街にはチューリップが多く、大きな野良犬もそばに寝ている。人々は活気ある感じの街であった。近くにはヒルトンホテル、Dホテルなどがあり、軍事博物館へ向かった。その日は軍事博物館は主ゲートからもっと先の別ゲートに入口があり、そこでは7トルコリラで入場した。ゲートで荷物のチェックがあった。ここの博物館はトルコの軍事的な歴史を扱ったところですばらしいところだった。多くの戦闘場面が人形を使って実物大の大きさでリアルに示されていた。昔から現在までの武器など数万点が飾られていた。昼までそこにいて、ゲートの男に第15回のICBCの国際会議場はどこだと聞くと、ここだと言われて安心した。外へ出る。多少暑気であったが日本と同じ気温だった。タクシム広場へもどり、ガイドブックを見ながら公園ベンチのおじさんに聞いて、カバタシュ埠頭をめざしこの高台から海側へおりた。ホテルへ帰るのが大変かなと思いながら大いに歩いた。多分カバタシュ埠頭であろう。海岸淵で人々がくつろいでいた。前面の海はボスポラス海峡である。
ここは新市街か、旧市街か、アジア側か、ヨーロッパ側か、と思うがさっぱり不明だった。後で、全てボスポラス海峡を挟んで、新市街、ヨーロッパ側であることがわかった。ホテルへ戻る途中、古い菓子店でクリーム菓子とコーヒーを飲んでホット一息入れる。ホテルへもどってそのまま寝てしまう。翌日は日曜日でまだ会ははじまらない。日曜日はブルーモスクへいこう。
17日(日曜日);8時に朝食を取って、黒いマメ(大きなマメ、塩辛い)、種がないと思って強くかじって歯をいためる。あと2種のマメであったが、1つはやはり種子があり、他は種子のない柔らかいマメだった。パンはオーブンの中にあって暖めてあった。ゆで卵も暖かくしてあった。新鮮なキュウリとトマトが出してあった。後はクリームのごった煮のようなもので塩味であった。うまいと言えるものは一つもなく、朝食で腹ごしらえするだけである。パンも2種類あり、ソーセージをはさんで食べた。茶は紅茶だろう。コーヒーは飲むと沈殿のあるようなコーヒーで何も入れないで飲んだ。はらごしらえであった。そのうちトルコの老夫婦も食堂に来てだまって食事をしていた。
朝食を終えて、イステクラーク通リにでて、本日は会場の方向とは反対の方向へ向かった。ガラタ塔を目指して進み、その塔のところから海岸線へおりて、ボスポラス海峡をまたぐ橋に出られるはずだ。しばらく進んで途中、マシンガンを持つポリスの集団があちらこちらに散見された。市民と仲良くしていた。この通りは自爆テロのあったところだ。道路の標識にガラタ塔の方向の矢印があった。まだ早かったためかガラタ塔に登る観光客はいなかった。そこを通りすぎて道路を海側へ下って行く。途中に店もあったが、まだ活気はなくどんどんおりて海の見えるところまでおりた。Exchane の看板の店がありそこで日本円をトルコリラにかえた。1万円かえた。日本の空港でかえた時より同じ1万円でもたくさんのリラがきた様な感じがした。海峡をまたぐガラタ橋を歩く。橋のたもとではつりをするトルコ人が多くいた。日曜日のせいか。バケツには何か大きな魚が入っていた。橋を渡り、向こう側(旧市街)に行くと、大きなモスク(イエニジャーミー)があり、そこに入った。トルコの殆どの女性はベールをかぶっていない。頭には布地をかけている。チューリップの花があちらこちらにさいている。チューリップは濃い赤色の花である。トルコはチューリップの国である。モスクの中ではきちんと眼だけ出しているヒトもいる。そこを出て、塔が何本かたっているモスクをさがした。途中、銀行の博物館も見た。スルタンコウハイトジャーミー(ブルーモスク)の巨大なモスクにいった。つずいてアヤソフィア(博物館)をみた。しばらくこのキリスト教の教会を見たが、モスクの中でキリスト教がイスラム化してしまっている様な教会だった。
地下の教会の様なところ(地下宮殿)へ入った。20リラだった。地下におりて行くとそこに広いホールがあって地下水が流れている。貯水池の様なところで、ずっとむこうまで歩いてゆけるようになっている。よく見ると中に魚が泳いでいた。どんどんゆくと顔半分が横に向いていたり、逆になっていたり異様な彫刻の柱(メデユーサの首)が水面上に出ていた。何とも言えぬ雰囲気のところであった。地下水の部屋に明かりがともっていて宗教的な雰囲気を醸し出していた。
そこを出て大きなショッピングセンター(グランバザール)に向かうと、ぐるぐる歩くうちに前のところにもどってしまった。迷路の様な道である。海の方降りてゆくと、闇屋街のようなグランバザールがあった。多くのトルコ人たちはここで買うのであろう。何の事はないドヤ街である。そこを抜け海峡淵まできて、1リラでリング状のパン(ごまが多く入っていた)を食べた。またガラタ橋を渡り、タクシン広場まで急傾斜をのぼり、ホテルへ無事帰った。ホテルではシャワーのライトがつかない。ホテルの男に言ってあったのだが、もどってもなおってない。何回か修理にきたがなおらない。部屋をそのうちにかえてくれた。向の部屋で、こちらは電気も大丈夫で少々きれいな部屋であった。巣窟部屋である。明るいライトのついた事で学会の講演練習をはじめた。原稿は10回は声出して読む事だ。そのうちに時間もはかり、13分ではまるであろう。
18日(月曜日);翌日、朝食後、会場の軍事博物館へ行く。土曜日に入ったゲートではなく、もう1つ手前のゲートに学生らしい女性が入ってゆくので、そこでInternationalといったらゲートの男は入れてくれた。本日は9時からメガザイム社のデモンストレーションであった。そこに入ってお菓子と茶を飲んだり、冷凍ドウの講演を聞いたりした。会の登録し、正式にネームカードやらバッグやら受け取り一安心する。午後から会のオープニングセレモニーがあった。トルコ国歌を全員起立して歌った。何か知らない曲だがいい曲だった。いろいろ挨拶があリ、本日はそれで終わり。アメリカ、ミシガン大学のペリーさんを探したがいない。このようなセレモニーは南アフリカでのICC大会を思いださせる。あそこでもオープニングに国歌を歌った。あのとき副大統領が来ていた。夜はそのままホテルにかえる。
19 日(火曜日);
学会は講演発表とポスター発表である。小生の発表の日である。ホテルでは原稿をさらに精査し、2回ほど声をだして練習した。ほぼ時間内にうまくしゃべられるだろう。昼食は何か弁当のようなもので白いケースに入っていた。大しておいしいものではなかった。
小生の講演の順番が来た。
演題; "(120 ℃) rice flour and
deteriorated breadmaking properties baked with these rice flour/fresh gluten
flour"
要旨;Rice flour was stored at 15˚C / 9 months, at
35˚C/ 14 days, or dry-heated at 120˚C/ 20 min. The breadmaking properties baked
with this rice flour/fresh gluten flour deteriorated. In addition, the rice
flour was mixed with oil in water vigorously, and oil-binding ability was
measured. Every rice flour subjected to storage, or dry-heated at 120˚C showed
higher hydrophobicity, owing to changes in proteins. Then, proteins in the
stored rice flour were excluded with NaOH solution, and bread baked with the
deproteinized rice flour showed the same breadmaking properties as unstored
rice flour/fresh gluten flour. The viscoelasticity of wheat glutenin fraction
decreased after the addition of dry-heated rice flour in a mixograph profile.
DDD staining increased Lab in color
meter, which suggested an increase of SH groups in rice protein. Increase of SH
groups caused a reduction in wheat gluten protein resulting in a deterioration
of rice bread quality.
で、スライド17枚使い口頭発表した。米粉貯蔵中の変化とそのための米粉パンへの影響を調べた研究である。座長は南アフリカ、プレトリア大学のテーラー教授だった。彼の紹介のあと、10分間講演した。発表後の質問はというと、テーラー氏が米粉から脱タンパク質後の米パンとその前の米パンとの味の違いはと聞いてきた。「味は同じだった」と答えた。この日はやれやれという事でそのままホテルへ戻りすぐベッドに入り、テレビ国際版と、国内版でアルジャジーラテレビ局の衛星中継をみた。うまく入る時とはいらない時がある。番組は面白い。日本ではみられない番組と思ったが、NHKが手を組んでいるようだ。
20 日(水曜日);
翌日は国立考古学博物館とトプカプ宮殿を目指して、朝食後ホテルからガラタ塔をめざして、ステクラーク通リを進み、ガラタ橋までおりた。今回はスムースにいった。しかしガラタ橋を渡り博物館がわからず、途中何度か聞きながら進んだ。坂をあがったところに修理中だが立派な建築のMuseumがあった。早かったせいか余り客はなかった。内容はすばらしく、メソポタミア文化の多くのものが集められていた。そこをでて、向いの建物に入った。3−4階の建物で多くのものが展示されていた。そこでシュリーマンの写真があった。この辺でシュリーマンは発堀していたのだなと感慨深かった。学生の頃、シュリーマンの「古代への情熱」を読んだことがある。"木馬とトロイの遺跡"は懐かしかった。「声を出して読むこと。訳さないこと。毎日勉強すること。毎日作文を書くこと。それを先生にみてもらい誤りをなおしたら、次のレッスンを暗唱すること。」これはシュリーマンの勉強法だった。これもまた懐かしい。またこの本を読み返してみたい。
その後、そこを出てトプカプ宮殿に進む。宮殿はすぐ続いていた。宦官のいたハレム宮殿とはどんなものだったのか興味があった。しかし詳しい記述はない。ただ美しい文様の連続であった。やはりチューリップがきれいに整備されていた。海の見える一角からはボルポラス海峡が美しく見えた。そこを出てさらに帰るのに多くの時間がかかるかなと思ったが、たいした事はなかった。子供たちの集団について行くと、ブルーモスクの広場に出て、グランバザール 街にすぐでる事ができ、そこで土産の"眼"(ナザール・ボンジュウ)のお守りを探した。大小あり、最も小さいものを買う。橋まで出て、リング状のパンをかじり、水をのむ。その後、帰りのアタチュルク空港までのバス停を探した。タクシン広場まで上がり、バス停を探した。やっとハワタシュ乗り場のバス停にぶつかり、時間割をもらってやれやれと思って帰った。途中ケーキ店で食べるが薬草が入っているのか、食べにくかった。トルコの食に対して余りいい印象はなくて、いよいよ帰国である。
21日(木曜日;午前中は大会に出席し、そこの昼食を食べてからホテルに戻り、荷を作りホテルを出た。バス停までカートを引いてゆく。重いので少し近道をと思って、未知の道に入り込んだらわからなくなり、元の道を戻って一汗かいた。バスにうまく乗れて飛行場までゆく。フライトは24時過ぎで、長くそこで待たねばなりませんでした。
本大会では、グルテンフリーの発表が多かったのが気になりました。以下その内容を示しました。
15th International Cereal and Bread Congress
Istanbul, Turkey April 18-21, 2016
参加者は500名、半数はトルコ人で、さらにその半数はイスタンブールの大学生であった。口頭発表は145題、ポスター発表が208題であった。口頭発表は43セクションに別れ、3日間にわたり発表が行われた。
353題の発表の中で印象深かったのはGluten-Freeの研究発表が多かったこと(21題)であった。以下紹介する。
1) Abstracts p-53;
Development of Bread from Underutilized Gluten-Free
Cereals Using Sourdough Technology (キビ、アワ、ヒエとサワードウを用いたグルテンフリーパンの研究) Jemia Adepehin Nigeria
Nigeriaで多くできるキビ、アワ、ヒエでパンを焼く。発酵はイースト、乳酸菌で行う。赤っぽいパン。
2) p-54;
Optimization of Gluten-Free Bread Formulation Containing
Leblebi Flour and Evaluation of Dough and Bread Properties (Leblebi
flourと hydroxy propyl methyl cellulose を用いたグルテンフリーパンの研究)Gokcen Kahraman Turkey
Lebleibiとはトルコの伝統的なスナック菓子。Leblebi flour=ひよこ豆の一種でトルコの伝統食材。ひよこ豆の粉はタンパク質、繊維質が多い。
3) p-115;
Production of Gluten-Free Foods by Peptidases from
Different Sources(ペプチダーゼを用いたグルテンフリーパンの研究) Peter Koehler Germany
Aspergillus niger のGluten
specific のペプチダーゼでグルテンを分解。Elisa法の紹介。ビールにも応用。
4) p-116;
Development of
Improved Reference Materials for Food Allergen and Gluten Analysis(食品アレルゲンとグルテン分析について)Sandor
Tomoskozi Hungary
いろいろな方法(immunochemical based solution, PCR, MSを分離する方法)による標的タンパク質の定量、定性分析紹介。
5)p-117;
Improving Quality
of Gluten-Free Bread by Addition of Protein Isolate from Rice Bran(米ふすま中のタンパク質によるグルテンフリーパンの研究)Suphsat
Phongthai Thailand
6) p-118;
Gluten Free
Instant Rice with Slower Digestibility by Modifying Process Conditions (消化性をおとしたグルテンフリーインスタント米の研究)Rachel
Hsu Taiwan
グルテンフリー食品に米を使用。しかし米はGIが高いので、低水分量で低温、短時間クッキングし消化の悪い米を調製。
7) p-119;
Durum Wheat vs
Gluten Free Pasta: Sensory and Nutritional Properties(デューラム小麦とグルテンフリーパスタの比較研究)Joel
Abecassic France
地中海地方はパスタが最も典型的な食品。米粉、擬似穀物、まめ科植物を用いてグルテンフリーパスタと小麦パスタとの比較研究。
8) p−120;
Gluten-Free Sourdough Bread Properties and Dough
Rheology(サワードウグルテンフリーパンの研究) Sebnem Tavman Turkey
サワードウはそば粉+乳酸菌で調製し、粘弾性はキノア粉添加で調製。
9) p-121;
Carob Enriched Buckwheat Bread - A New Alternative in the
Gluten-Free Diet(carob=イナゴマメとそば粉によるグルテンフリーパンの研究)Peter Raspor Slovenia
carob flour(イナゴマメ粉)で一部そば粉を代用。Carob粉はpHをかえる。体積増加、フレーバー上昇に効果ある。
10) p-122 ;
Influence of Quinoa Flour on Rheological Properties of
Gluten Free Cake Batter and Cake Properties(キノア粉によるグルテンフリーケーキの研究)Seher
Kumcuoglu Turkish
アマランス、キノア、そば粉の比率かえたケーキ類。栄養価の高いケーキ。
11) p-150;
Production of
Par-Baked Gluten-Free Cakes Including Rice, Corn and Chestnut Flours(米、コーン、クリ粉のグルテンフリーケーキの研究)Onder
Yildiz Turkey
12) p-157 ;
Use of Rheum Ribes as a Functional Component Gluten-Free
Biscuit Production(米粉、ポテト粉に食用ダイオウ入りグルテンフリービスケットの研究)Hafsa Dogan Turkey
Rheum Ribes(ダイオウリブス)は、ビタミンC、鉄、亜鉛、繊維質が多い。
13) p-179 ;
Assessment of Thermo- Rheological Properties by Using
Chickpea Flour and Brown Rice Flour as an Ingredient of Straight-Dough Gluten
Free Bread(ひよこ豆、黒米を用いたグルテンフリーパンの研究)Damla Barisik Turkey
ひよこ豆はパン膨化に関係あり、黒米は繊維、ミネラル、タンパク質が多い。
14) p-191;
Production of Par-Baked Gluten-Free Cakes including Rice,
Corn and Chestnut Flours(米粉、コーン、栗粉の入ったグルテンフリーケーキの研究)Onder Yildiz Turkey
15) p-192;
New Processing
Techniques to Improve Quality of Gluten-Free Products(新技術改良グルテンフリーパンの研究)
Nihal Simsekli
Turkey
酵素でタンパク質の機能をかえる。乳酸菌でサワードウ中のフレーバー、テクスチュアを変えてグルテンフリーの粉を作る。ミリング、粒径サイズ変えてグルテンフリー粉を作る。
16) p-193 ;
Production of
Regular and Gluten-free Stick Rusk Enriched with Dried Fruits(ドライフレーツ入りグルテンフリーラスクの研究)Serpil
Ozturk Turkey
イチゴ、アプリコット、ブルーベリー粉をグルテンフリー粉に入れる。
17) p-204 ;
Using Flaxseed Gel to Improve Textural and Structural
Quality of Gluten Free Eriste(亜麻種子を使ったグルテンフリーエリステの研究)Asuman Cevik Turkey
ひよこ豆、コーン、米粉、亜麻の種を用いたもの。
18) p-262;
Production of
Bread for Celiac Sufferers Using of Taro Tuber (Colocasia esculenta L.
Schott)(タロイモを用いたグルテンフリーパンの研究)Cansu Pehlivan Turkey
タロイモはミネラル、タンパク質、繊維, ゴムのりが多い食材。
19) p-263 ;
Mineral in Grain Gluten-Free Products(グルテンフリー食品中のミネラルの研究)Iga Rybicka Poland
Popularity of gluten-free (GF) diet is observed all
around the world. The market value of products with a Crossed Grain symbol is
estimated for 3.3 bln US$. The significance of GF products in human diet has
relevantly increased. Nowadays, they are consumed not only by patients with
coeliac disease. Duhring's disease, intolerance or allergy to gluten, but also in
other diseases (e.g. autism) or by healthy individuals who want to eat
differently. (世界中でグルテンフリー食品は3,300億円のマーケット。セリアック病でないひともグルテンフリー食品を消費する。)
Table 1. Gluten-free products rich and poor in analyzed
minerals
MINERAL
PRODUCT RICH IN
Ca
amaranth
K
CHICORY COFFEE(チコリコヒー)
Mg
amaranth popping
amaranth flour
Na
breadsticks with salt(グリシーニ)
Cu
acorn flour(ドングリ)
chickpea flour(ひよこ豆)
millet flakes(きび)
Fe
chicory coffee
teff flour (テフ)
oat musli(オートムギ)
Mn
bread with buckwheat
teff flour
buckwheat flour
amaranth popping
Zn
oat flakes
oat flour
buckwheat goats
20) p-295;
Instrumental
Methods of Texture Measurements in Gluten-Free Products(米、コーン使ってグルテンフリーパンの新鮮さ、ファリノメーター、レオメーター、DSC,
XRDでの研究)
Nihal Simsekli Turkey
21) p-304;
Effects of Corn Starch and Water Addition Levels on the
Quality Characteristics and Estimated Values of Gluten-Free Rice Bread(米粉、コーン、ポテト、そばのグルテンフリーパンのGlycemic Index研究)Ash Cihan Turkey
であった。
眼のこと
「ジョコビッチの生まれ変わる食事」 副題;あなたの人生を激変させる14日間のプログラム を読んで
ここにノバク・ジョコビッチの本があります。興味を持って読みました。現在本屋に行くとこの本を見る事ができます。テニスの世界選手権、オーストラリアの大会だったでしょうか、日本の錦織選手が現在、非常に強く、世界のベスト10以上内、ベスト4になるかもしれないという試合のニュースでは、その対戦相手がノバク・ジョコビッチでした。
ジョコビッチは現在テニス界の世界チャンピオンですが,実は彼は出身が旧ユーゴースラビア、セルビアの出身の選手です。あの国は目下国内紛争中で、彼はNATO、アメリカからの空爆を家族ともども逃げ回りながらテニスの練習を続けてきた選手です。大変な困窮の中をかいくぐりながら、テニスラケットを持って練習してきた選手です。
ここまであがってこれたのは、両親、周囲の理解と本人の才能でしょうか。いいコーチもいたのでしょうか。しかしながら次第に世界ランクが上になるにつれて、長時間のコートでの激烈な試合中、幾度も体調の不調(彼は予告もなしに私の力を奪うなぞの力と言っていた)を訴え、途中で試合放棄などもあったようです。全豪オープンでの彼の不調をテレビで見ていた医師イゴール・セトジェヴィッチ氏は彼に食事改善アドバイスをするのです。
彼は、食事の事、特にジョコビッチのグルテン不耐症を感じてアドバイスを行ったそうです。やはりジョコビッチはグルテン不耐症で、ELIZAの血液テストでもはっきりしたようです。このように本人の体調不調の原因が食事との関連であって、十分にそこをコントロールした今、世界チャンピオンになってます。錦織も破れてます。
彼の本を見ると、グルテンに関しては,何から何まで徹底的に自己管理です。彼の食事の栄養面、エネルギー面は、きちんとした管理栄養士がいるのでもなく完全に自己管理しているのです。この本を見ると、彼は自分の体を使って食のバイオアッセイをしている感じです。これは近代人の理想的な本来の姿です。
自分の体に食事を与え、ギリギリの限界にまで体を使って追いつめて、いま自分が何を食べるべきか、いま体が何を求めているのか、真剣に追求しています。彼のテニスプレーヤーとしての発言は、管理栄養士に関係する我々に何か刺激的で、大切なものを知らせてくれている様な感じでした。
これからの誰もができる自分だけの栄養管理の考え方でしょう。自分の体が発する声に耳を傾けてほしいとジョコビッチはいってます。これからの食の管理は、自分だけの自分にあった独自の栄養の管理でしょう。教科書の基本的知識をベースに、自らで栄養管理を行うという方向でしょう。テーラーメード(個々人の各個人にかなった)という言葉がありますが、テーラーメードの食・栄養の自己管理です。これからは求められてゆくのでしょう。
ヒトの寿命が200歳もあり得る時代がくるのでしょう。
アレグラ・グッドマン著「ねじれた直感」(集英社文庫)を読んで
この本 (原題;"INTUITION") は、極めて本質的で心理的な本です。
研究というものの本質を探す仕事、それに対する研究者の心理です。そのためには大きな訓練時間が必要で、この教育が必要です。
若いポスドクは一刻も早く業績を上げて、次のポストに。さらに自己変革を望む人にとって、研究成果は早く早くです。しかしそう簡単に思うようには進みません。
単に研究時間さえ、と研究量を増やして成果は上がるだろうか。上がりません。労働時間の問題では無いのです。研究テーマのこともありますが、得られた研究結果の読み、とその次の仕事をどうするかです。
ここボストン、ある研究所ではヌードラットを用いて癌研究を進めています。乳がんをマウスに起こさせ、そこにある種のウイルスを接種してそのがん回復を調べる研究です。主人公クリフは、ウイルスの効果を認めました。70-80%のラットがウイルスで回復したといいます。画期的なデーターで研究所はわきます。 さらに"Nature"に投稿し、アクセプトされました。
クリフの恋人ロビンは、見慣れないクリフの行動に不信を抱きます。クリフは自分の行動に何らその異常性に気がつきません。激しい自分の仕事に心酔してしまっています。
しかし、二箇所の他研究機関でトレースしたがうまくゆきません。再現性がないのです。
クリフは、"僕は一生懸命やった。"と言います。 しかし、どうも自分に都合の悪いデーターを捨てて、都合の良いデーターのみを集めたようです。
研究とは、結果的には他の研究者の、誰も見ていないところで進める個人プレーなのです。本人の常識、良識に任せられます。やっていいこととやって悪いことの判断です。これがきちんとできていないと過ちを犯します。
研究所の二人のアドバイザーのうち、一人は冷徹な目で彼の諸行、データーを見るが、もう一人はそれをポジテブにふくらませてのみみます。NIHの研究費目的です。このポスドクを頭から信じるだけです。
本人のデーターに対する甘さは本人の問題です。研究者として一人前になるまでの間は数年間、指導者の厳しいブラシュアップ、子供扱いに耐えねばなりません。そこで研究上の常識が身につきます。
過激な研究条件では、しっかりしていないと精神的に判断が狂います。自分のとったデーターが自分勝手な解釈になりいりがちです。
小生の研究上のアドバイーだったHさんのことを思い出します。
彼は、実験ではまず押せ押せでデーターを出します。多少後ろ向きのデーターでも何はともあれ押せ押せでデーターを出します。強引にポジテブなデーターにします。条件を変えて、さらに上に上へと良い方向へデーターを出します。
少しでもネガテブなデーターがあっても、これを押して前向きでそのポジテブなデーターのみを徹底的に押しあげます。さらにポジテブなデーターにふくらませてはっきりとしたものにします。これほどのポジテブなデーターはないほどのものを作ります。
実験が終わり、いざ、論文化する場合、今度は人が変わったようにこれを逆にネガチブの眼で見てゆきます。
第3者的な冷徹な眼でそのデーターを小突きまします。このデーターが本当かドウかです。ネガテブなデーターに転落することがあります。その時は直ちにその研究中止、その研究結果の放棄です。
ああでもない、こうでもないといろいろと見方を変えてデーターをつつく。
それでもなおポジテブなデーターは揺り動かない。そこで初めて投稿するデーター対象と考えます。
ポジテブなデーターの人と、これを引きずり下ろしつまらぬデーターとする人が同一人物です。二重人格者となるわけです。命がけの自分でとったかわいいデーターです。これを容赦なく切り捨てるのです。
一人よがりにならず、悪いものは悪いと切り捨てるのです。彼から教えられました。
日本穀物科学研究会会長として以下のように挨拶しました。
日本穀物科学研究会会長として、以下のように挨拶しました。
御関心のある方、入会歓迎です。以下のメールから入れます。
www.kokumotsukagaku.com
平成26ー27年度、2年間の日本穀物研究会会長をつとめることになりました。よろしくお願いいたします。
本会は昭和49年にスタートし、今年でなんと40年目を迎える息の長い会で、主に関西を中心にこれまで活動してきました。その後、関西穀物研究会から日本穀物研究会とし、日本全体の穀物関連の研究会と幅を広げました。
関連の姉妹団体としては、関西の日本穀物科学研究会に対し日清製粉(株)つくば穀物科学研究所がベースになる関東のAACCI Japan section(AACC International 日本支部)があり、日本の穀物研究会を進めております。AACCI Japan sectionは、日清製粉(株)つくば穀物科学研究所柘植宣孝所長がAACCI Japan sectionの会長で、小生が副会長です。 本会とは2年に一度ジョイントの講演会を進め、来年には第3回のジョイントの講演会をすすめる予定です。
会も電子化がすすみ、ネットがこのような会には重要な役割を示し、会員との連絡にはネットワークを大いに利用し、低コストで効率よく情報公開を進めてゆく予定です。
世界の穀物科学の分野はこれまでの穀物生産増加、穀物自体のサイエンスに重点が置かれてきましたが、近年、食と栄養ということ、体への穀物の影響に大きな注目が集まってきています。
日本人の体格にも肥満、糖尿病などの問題もありますが、欧米人の体格、肥満の現状は深刻な問題となっています。こうした観点から言うと、その食べ物と体の関係は極めて深刻な問題です。特に我々の関心深い小麦粉、デンプン、グルテンタンパク質等の栄養的問題です。
全米、カナダでたちまち130万部突破というウイリアム デービスの「小麦は食べるな」、やはり日本でベストセラーとなっている夏井睦の「炭水化物が人類を滅ぼす」などあるように穀物への考え方が大きく変化しつつあります。
デンプンの難消化性、多糖類の不消化性、GTの件、体に良い消化の問題、グルテンタンパク質のアレルギー、グルテンフリー化の問題、幾多のテーマが毎年のAACCI、ICC
などの穀物科学会の重要なテーマとしてあがってきている。これらの問題はすなわちわが穀物研究会の問題でもあり、大きな関心をもたばれねばならない。
さらに将来の食料、穀物科学界の問題なども新たな問題を提示し、それに伴った重要な研究テーマの問題、企業に置ける将来の方向性など大きな問題を示している。
この2年間はこれらの栄養と穀物の問題について考えてゆきたいと思ってます。