2021年6月アーカイブ
2021年6月24日 14:14 ( )パンの美味しさとは
1,パン、糖質の美味しさ・テクスチャー
パンはオーブンで焼かれ、クラスト(パン皮)、クラム(クラスト内側の柔らかい部分)に分かれるが、オーブン(230℃付近)の高熱で焼かれるため表面のクラストはクラムと異なる反応が起こり、パンの香ばしい香り、黄褐色が生じる。アミロース、アミロペクチンからなるデンプンは事前にアミラーゼなどの酵素で分解され、一部グルコースまで分解され、これが還元糖としてリジンなどのアミノ酸と非酵素的褐変反応(1)を起こし、パンの香り、着色となる。更にグルコースは重合化してカラメル化反応(2)でパンの黄褐色、苦み等になる。何れも糖質が関与してパンの美味しさに貢献している。クラムの方は100℃の低温ででき、イースト、Saccharomyces
cerevisiaeの関与する発酵でパンのいい香りができる。何れも製パンメーカーのオーブン中で香りを発し、大気中に揮発してゆく。パンのほとんどの香りは大気中に放出されるが、多少のものはデンプンのアミロースのラセン構造中、あるいは微細のパン気孔中に留まる。家庭用オーブンで加熱すると、これらの香りはそこから生じる。パンの多孔質構造も重要な嗜好要因であり、多糖類のデンプンが大きく関与している。パンのような膨化食品は短時間の蒸発、凝縮の熱伝播による加工が行われ,栄養成分の熱分解も少なく、できたパンの多孔質は見た目もよく、パン弾力性等のテクスチャーの美味しさを嫌う人はいない。糖質、多糖類による美味しさである。
2、パンの香りの回収
食品中最もいい香りと言われるパンの香りを、大気中に放出しないで何らかのものに吸着して利用できないかを考えた(3)。図1に示すように200mL三角フラスコ中に50gパンドウ(290g小麦粉、14.5g砂糖、2.9g塩、8.7gイースト、水適当量(500BU))を入れ、温度200℃でベーキングし、コンプレッサーを用いて発生するパンの香りを集め、香り物質をにおいセンサー、Odor intensity indicator (OII)で定量し、更にsensory test(官能試験)でその種類を確認した。経時的にI、II、IIIの順に生じる(図2)。Iはエタノール臭で、はじめに出る(1)。IIはパンの香りがでて、296種あると言われるパンの香りのうち3-methl-1-butanolをガスクロで確認した(4)。IIIはパンの焦げ臭で、代表的なものとしてfurfuralをガスクロで確認した(4)。ベーキング中で放出される3つの区分のうちIIの区分が最も好ましいパンの香りである(図3)。この区分を集めて無臭の油脂ココナードRK(Kao Chemicals Co., Ltd., Japan)に吸着させた。しかし一度は吸着したが経時的に大気中に消出した。安定なパンの香り回収は難しい。パンフレーバー研究の難しいところである。
3、パンの多孔質構造
(1) 連続小麦・グルテンゲル
小麦粉に水を加えて撹拌すると多くの空気が不均一な水--小麦粉混合物に変形しながら取り込まれ連続小麦ゲルが得られる。パンではこれをドウ(図4)、ケーキではバッターと呼んでいる。小麦粉は本来疎水的で、水を加えただけでは塊にならない。小麦ゲルは小麦貯蔵タンパク質プロラミンのグルテン(低分子量グリアジンと高分子量グルテニンの混じったもの、二成分接着剤)、グルテン中の脂質、デンプン粒等からなる。グルテンは通常の状態では水に溶けない。その不溶性と疎水性にもかかわらず、撹拌によりグルテンはその乾燥重量の約二倍の水を吸収する。撹拌するほど分子量は酸化、還元して大きく変化する。水和グルテンネットワークが形成されると小麦粉は粘着性の粘弾性ドウを形成する。ドウでは水は小麦グルテンによる粘りがもっともよくでる量までしか入れない(500BU)。したがってドウは発酵中に生成されたガスを保持し,これによりパンを焼いた後に均一な多孔質の構造の弾力あるパンになる。ドウ中のデンプン粒は水の層で取り巻かれて不連続に存在する。小麦デンプン粒は10-20μmの大きさの大粒と、それより小さい1−2μmの小粒からなるが、他の種類のデンプン粒と異なり、大粒の形状は平板状で表面に凹凸がある。小粒は球形である。撹拌することによりグルテンは吸水して連続のゲルに変化するが、デンプン粒は固体状で全くそのままの形状でただ水で周囲が濡れているだけである。しかし2個の平板状の形状のデンプン大粒は、機械的撹拌により空気を取り込んで空気の核を作りこれが気室の中心となって良好なパン構造を作る(図5)。合成粉の製パン実験で、デンプンの種類を変えてパンを作ると小麦デンプン粒のみがよく膨化し良好のパンを作れるのに、他の種類のデンプン粒のパンがそうならないのは、デンプン粒の形状の違いのため空気の核ができにくいためと言われている(5)。小麦デンプンほどパンの膨化がうまく進まないのはこのためである。ドウは撹拌するほど空気を抱き込む。撹拌はじめの密度は1.20g/mLであったものが撹拌が進むほど1.10g/mLと小さくなる。ブラベンダーファリノグラフで示すBU値と密度の関係は時間とともに図6のようになる。撹拌するほどグルテンの絡みは大きくなり、粘度(BU値)は上がり絹のようになるが、しかし最大BU値を超えるとグルテンゲルは破壊され、密度もほぼ一定になる。そこまでで空気はドウに十分巻き込まれる。
ゲルにはこの他、砂糖、食塩、イーストなどが混ぜられる。加温すると発酵が始まりイーストから発生したCO2はドウ中にとけ込む。とけ込んだCO2はドウ気室中の空気にガスとして混入して大きな気室を作る。はじめに撹拌で出来た空気の核にCO2はとり込まれ,CO2独自で新たな気室を形成することはない。しかし単に気室を含む小麦ドウの連続体を作ってもそのままでは気室の大きさの整った美味しいパンは完成しない。そこでドウのモールデング、パンチング操作を行って、一度できた大きな気室を物理的に押しつぶして、気室を細分化する。こうすることによって均一な気室がドウ中に完成し,パンの品質は良くなる。
グルテン中のリポソーム様集合体として存在していた脂質、特に極性脂質は水を吸収し、撹拌によって安定なラメラ液晶相を作り(図7)、グルテンゲルの連続相とともに安定化した界面の気室膜をつくる。デンプン粒表面は水を吸着し、自由水はその間これらを繋いでマトリックスを作る。おおよその小麦ゲルはこうして作られる。
3、パンの多孔質構造の形成
(2) 連続多孔質構造
続いてドウは230℃のオーブン中に入れられベーキングされる。パン表面は短時間のうちに100℃まで達し、水分が蒸発して温度はそれ以上にあがりパン表面はクラスト化する。その間、非酵素的褐変反応(メーラード反応)、カラメル化反応が起こり、酵素反応で生じたグルコースがこれらの反応に関与しクラストの香り、黄褐色をつくる。そのすぐ下の連続相はクラストのようには温度は上がらず、中心部が100℃に達するまで時間がかかる。モールデングやパンチングで気室の均一化した小麦・グルテンゲルはオーブンで加熱されると、20-40℃ではイーストは活性がありガス発生を引き続いて行ないドウはオーブンスプリングを起こし膨化し気室は最密充塡化する。しかし60℃以上になるとイーストは死滅する。小麦・グルテンゲルはその中に不連続の球状の気室、正確には14面体(正方形6,六角形8)の最密充塡気室相からなる。界面は広い界面を安定的に露出することの出来る脂質単分子相のラメラ相(5)と液状のグルテンタンパク質ゲル層からなり(図7)、そのゲル中に異物のようにデンプン粒が混在している。これが230 ℃のオーブンの中で加熱される。熱は伝導熱、拡散熱、蒸発熱、凝縮熱の繰り返しでドウ中心部へ伝播される(図8)。
温度移動は非発酵ドウに比べ発酵ドウでは非常に早い。このためパン中心部までの温度上昇は極めて早く、膨化食品は他の食品に比べ加熱による栄養面の損傷を減らし,食品の美味しさを引き出す点で優れている。気室の最も外側まで伝導、拡散熱で伝わってきた熱は、気室界面で蒸発熱に変わり水分は水蒸気となって短時間のうちに内側の界面まで移動し、蒸発熱は壁で冷え凝縮して熱を放つ(図8)( 6 )。熱はグルテンゲル中を冷たい方向に向かって伝導、拡散し、隣の気室界面に達し、次々にその繰り返しを行いクラム全体100℃の平衡化まで短時間のうちに到達する。グルテンタンパク質は比較的熱に安定な物質であるが、加熱変化は疎水的の相互作用の増加や水素結合の減少によるところが大きい。グルテンタンパク質の表面活性は加熱により変化し、グルテンゲルはキセロゲル化する。
熱により小麦・グルテンゲルの中で大きく機能的に変化するのはデンプン粒である。その際グルテンからデンプンへの水の再配分が起こる。デンプン粒は、温度60-80℃ころ粒からアミロースの溶出が始まり、糊化は51-57℃頃から始まる。最大糊化吸熱(Tm)は60-66℃である。レオロジー的性質の変化は60℃からはじまる。アミロースの染み出る量の増加とデンプンゲル重量の増加は60-80℃の温度ではまだ小さいが,その両方は80℃以上の温度で増加する。デンプンはグルテンからの水分など使ってグルテンゲルに置き換わってデンプンゲルを形成する。脂質はラメラ相のまま界面を形成している。こうして連続グルテンゲルは連続デンプンゲルに変わる。
ゴム風船に空気を吹き込んで膨張させ、膨張がマキシマムに達した後、さらに吹き込むとゴムは破裂してつぶれしまうが、小麦・グルテンゲルの気室構造はオーブンスプリング後、そのまま気室をひきついだ多孔質構造に変わりゴム風船のようにつぶれることはない。
以下の様に考えられる。加熱により小麦ゲル中のグルテンは高分子化しキセロゲル(かたまり)になり連続グルテンゲル相は消える。同時に脂質のラメラ構造も変化し途中亀裂が生じる。デンプンの糊化によリ生じた連続デンプンゲル構造も固化により組織は破れ、各気室壁に割れ目(気孔)が生じ、同時に外気と繋がり連続多孔質構造になるのである(図9)。それはパンのクラムの温度が100℃に達した時にクラムの中心部、外周部、同時に起こる。このため均一の連続グルテンゲル中の気室構造はそのまま固い壁を有する連続多孔質構造に変化する。薄くて固い多孔質膜がパンの弾力性を作る。100℃までの温度勾配が外部から中心部へ向かっているため、圧力勾配でパンの気室の大きさはパン中心部から外部に向かって気室の小さいものから大きいものへと整然と並び、固化して多孔質構造を作る時、パンの美しい切断面を作る。パンの弾力のあるテクスチュアも食欲を注ぐものとなる。これも糖質、デンプンの役割が大きい。
4、
ケーキの場合
(1)ケーキの膨化
これまで強力小麦粉(グルテン含量、約12%)によるパンの膨化について説明してきた。パン以外の小麦粉による膨化食品にはケーキがある。ホットケーキ、カステラは日本で人気のあるケーキ類である。これらにはパンとは違ってグルテン含量の低い薄力小麦粉(5-6%)を用いる。しかもバッターには加水量が多く、低粘度のバッターを作り撹拌操作能をおとし、グルテン形成に必要なエネルギー量を低下する。グルテンの粘弾性がなるべく生じないようにしている。グルテンタンパク質によるパンの膨化とは異なったメカニズムで膨化する事が考えられる。ケーキはパンとは違ってその原料に卵を加える。小麦粉、卵白、水を撹拌して、小麦・卵白ゲルを作る。小麦・卵白の連続相中に、撹拌で空気を取り込ませるのが特徴的である。連続相中にはさらに卵黄、油脂が分散している。卵白中に存在するアルブミンは起泡性に優れている。このタンパク質の分子構造は両親媒性構造を有しているので、分子中に比較的疎水性領域を形成しやすく気/液界面に吸着すると共に不溶性の膜を形成する性質が強く、泡の安定化作用も強い。さらに油脂(極性脂質)は水と反応して、ラメラ液晶相を作り疎水性部を界面の空気に向けて整然と並びタンパク質とともに安定な気室膜を作る。親水性をもつ極性脂質(図10)(7)はケーキの膨化に貢献している。80℃以上の温度範囲では小麦粉中のデンプン粒の糊化が起こり、88~96℃ の温度範囲では卵タンパク質の熱変性によるキセロゲル化が引き起こされ、ケーキ組織が形成されていく(8)。特に88℃の時点、すなわちデンプンのアミロース溶出と糊化が終了し、タンパク質変性が開始する温度において、連続バッター構造から連続デンプンゲル構造へ変化し、さらにデンプンの固化、タンパク質キセロゲル化等で生じた割れ目(気孔)から気体は外界に放出される。この温度を境にしてケーキ組織は連続バッター構造から連続多孔質構造へと変化する。
4、
ケーキ類の場合
(2)小麦デンプン粒表面の疎水化とケーキ組織の改良
これまでケーキの歴史ではケーキの膨化を安定化するために種々の研究が行われて来た。その1つにクロリネーション(塩素ガス処理)がある。小麦粉に塩素ガスを吹き込むやり方が、小麦粉の漂白目的で行われてきた。これがたまたまケーキの膨化などにも効果のあることがわかり、この研究からケーキ膨化メカニズムの研究が行われた。クロリネーションは小麦粉に満遍なく反応するが、特に小麦デンプン粒表面にある微量タンパク質に作用し、デンプン粒の性質を疎水的性質に変化させることが知られた(図 11)(9)。このデンプン粒の疎水化がケーキバッター中の気室膜に付着して気室を安定化することでケーキ改良に貢献するものと考えられた。しかしクロリネーションは食品衛生上の観点から回避され、その代替として小麦粉の乾熱処理(120℃、数分間)が行われた。小麦デンプン粒は乾熱処理でクロリネーション同様、デンプン粒表面に疎水化を起こし、ケーキで組織安定化、膨化の改良に貢献した(図 12)(10)。ケーキのテクスチュアの美味しさも、パンの美味しさとともに糖質であるデンプン粒に基づくものである。
5、
小麦アレルギー、セリアック病、グルテン不耐性の問題
欧米では小麦粉によるこの3種の病気の患者が増えている(11,12)。日本でも関心が深まってきている。何れも小麦グルテンに基づく問題であり、パン、ケーキ類を含む小麦粉製品により引き起こされる病気である。その原因は、小麦グルテンが人によって分解されない構造を有しているためである。アミノ酸のうちプロリン、グルタミンが麦類の貯蔵タンパク質、プロラミンには多く、病気はそれらを含む独特のエピトープに基づいている。グルテンは、グルタミン(37%)およびプロリン(17%)の最高値を示し,その後にロイシン(7%)およびフェニルアラニン(5 %)が続く。ヒスチジン(2%)、リジン(≈ 1%)、メチオニン(≈ 1%)、およびトリプトファン(<1%)は微量である。プロリン残基はタンパク質鎖内にねじれを引き起こす二次アミノ基の性質であり、デンプン質の胚乳におけるタンパク質鎖の密なパッキングを可能にしている(13)。さらに,プロリン残基は外部の酵素攻撃による貯蔵タンパク質の分解を防ぐ。このアミノ酸を含むグルテンを分解する酵素、PEP ( プロリルエンドペプチダーゼ)のヒトにはないことが原因である。さらにこのペプチドをIgE結合エピトープQQIPQQQと称し、欧米人の数%--10%ほどのセリアック病患者は特に腸内にこのペプチドを取り込み、自己免疫疾患の病気で死亡する人がいる。現在では乳酸菌等の持つPEPなどで小麦グルテンを分解し、この病気を回避しようとする研究が進んでいる。グルタミンに富むペプチドは,セリアック病患者のもつ腸組織酵素トランスグルタミナーゼ2(TG2)の優れた基質である。この病気を避けるためにはグルテンフリー食品しかないのが現状である。