2010年6月22日 06:59 (
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社会貢献
毎年五月になると連絡をいただき、名古屋と大阪へと出張いたします。何れも製パン会社絡みの出張です。
名古屋では、数千万円かけて大学関係の希望者に研究費の贈呈を行っているエリザベスアーノルド富士財団の理事会、評議会への出席でした。今年は52名の希望者に対し35名の方に、研究費をさしあげました。フジパン(株)さんは、このエリザベスアーノルド富士財団をある時期に設立し、以後毎年こうして研究者に贈呈しています。
大阪では、経済的に恵まれない高校生、大学生に3年間あるいは4年間、桐山奨学会が経済的援助を行っている、その審査委員会出席でした。毎年10数名近く学業成績よく、経済的困窮している学生諸君に贈っています。こちらは神戸屋(株)さんです。
更に、飯島財団(山崎製パン(株)さん)からも多くの研究者へ多額の研究援助を行っています。
各企業さんは、業績好不調関係なく得られた利益をこうして社会還元してくれているのです。何れの社も立派な事と思います。
西欧では、パンとはキリストの体であり、「パンは神様のお顔だから決して落としてはいけません。拾い上げたらすぐに口づけしてあげないとイエス様やマリア様がお嘆きになりますよ」と言われるほどである。何か製パン会社各社の進めているこの社会貢献と、パンというたべものの持つ特別の意味合いの間には大きな関係があるように思われます。
6千年あるいは7千年の歴史を有し、「人の作ったくだもの」とまでいわれるパンというたべものは、単にヒトの腹を満たすものだけではないと言われます。
最近、ジュリアン·ジェインズの「神々の沈黙」という本を読みましたが、なかなか読み応えのあるものでした。ご興味のある方には是非御一読お進めいたします。
「人の意識の誕生」、「二分心という事」、そして「神の存在」という実体無きものを、数々の古代巨大墓跡、史跡、旧約聖書等の幾多の記録、近代医学を駆使し、現在に至るその後の神々の沈黙を解説しています。
ヒトの脳には右脳、左脳があり、右脳にはヒトと神を結ぶ何らかの機能があるのではないかと述べています。左脳の中に意識というものが生まれる以前には、全てこの右脳から発する神々の声で人間社会は動かされていたと言われます。ヒトが意識というものを獲得してからは、ヒトはこの右脳にひらめきく神の力を失ってしまい、ヒトは神々の存在を忘れかけている(神々の沈黙)と論述するのです。
ジュリアン·ジェインズの博識の下、多くの調査研究結果から発するこの考えは、小生には人間の本質的なものが強く感じられました。
ここに出てくる数千年の歴史を有するパンなどは、正に神の介在なしには語れないものと思わさせられます。なぜパンだけが膨らむのか、などと深淵な意味合いのあるものと思われます。
聖書の中にパンのことを"ヒトの作ったくだもの"という言葉がありますが、昔は今と違って、たべものの加工技術など極めて貧弱だったのです。砂くずの入った粉でねった平焼きパンなどは、熱を中まで通すためには長時間加熱し、周りはこげて食べられず、中心部のみまともに食べられるという代物だったでしょう。
それでもその頃この小麦のたべものは人間にとって極めておいしいものだったのでしょう。そのごろのおいしいものと言ったらやはり果物でしょう。甘くてジューシーで、今我々が食べているのと同じようなおいしい果物はあったはずです。
それに比べて、ヒトの作るものは何れもまずく、ひどいものだったでしょう。しかしヒトはこの果物を食べていたから、おいしいたべものとは何かは知っていたはずです。それを目標にたべものの加工技術は進歩したのでしょう。
だから、パンを"ヒトの作ったくだもの"と称し、このパンだけは神様の作ったくだものに匹敵するものだと言わんばかりです。
ギリシャの遺跡(紀元前400年)から、二人の神々がヒトの王子に麦の種子を手渡しているレリーフが掘り出されました。これをアテネの国立博物館で見た事があります。グルテンというパンに膨らみを与えるタンパク質は、極めてユニークであり、他の穀物にも存在しません。こうなるとやはり神々からのものということになるでしょうか。古代ローマ、古代ギリシャ、古代エジプト、あるいは更にもっと古い遺跡の中にもパンは彫刻物として残っているのも興味深いものです。
古代エジプトの時代にブーメイと称してイーストらしいものがこの平焼きパンに用いられるようになってくると、一段とパンの役割がヒトの文化の中にその重要性を帯びてくるようになりました。
そうしていつしかパンが日本に入ってきました。日本ではそういう神々との関係は全くなかったのです。しかしながら何らかの形で結びついている様に思われます。
その関わりの雰囲気を感じるのがこの三社の社会貢献です。
名古屋では、数千万円かけて大学関係の希望者に研究費の贈呈を行っているエリザベスアーノルド富士財団の理事会、評議会への出席でした。今年は52名の希望者に対し35名の方に、研究費をさしあげました。フジパン(株)さんは、このエリザベスアーノルド富士財団をある時期に設立し、以後毎年こうして研究者に贈呈しています。
大阪では、経済的に恵まれない高校生、大学生に3年間あるいは4年間、桐山奨学会が経済的援助を行っている、その審査委員会出席でした。毎年10数名近く学業成績よく、経済的困窮している学生諸君に贈っています。こちらは神戸屋(株)さんです。
更に、飯島財団(山崎製パン(株)さん)からも多くの研究者へ多額の研究援助を行っています。
各企業さんは、業績好不調関係なく得られた利益をこうして社会還元してくれているのです。何れの社も立派な事と思います。
西欧では、パンとはキリストの体であり、「パンは神様のお顔だから決して落としてはいけません。拾い上げたらすぐに口づけしてあげないとイエス様やマリア様がお嘆きになりますよ」と言われるほどである。何か製パン会社各社の進めているこの社会貢献と、パンというたべものの持つ特別の意味合いの間には大きな関係があるように思われます。
6千年あるいは7千年の歴史を有し、「人の作ったくだもの」とまでいわれるパンというたべものは、単にヒトの腹を満たすものだけではないと言われます。
最近、ジュリアン·ジェインズの「神々の沈黙」という本を読みましたが、なかなか読み応えのあるものでした。ご興味のある方には是非御一読お進めいたします。
「人の意識の誕生」、「二分心という事」、そして「神の存在」という実体無きものを、数々の古代巨大墓跡、史跡、旧約聖書等の幾多の記録、近代医学を駆使し、現在に至るその後の神々の沈黙を解説しています。
ヒトの脳には右脳、左脳があり、右脳にはヒトと神を結ぶ何らかの機能があるのではないかと述べています。左脳の中に意識というものが生まれる以前には、全てこの右脳から発する神々の声で人間社会は動かされていたと言われます。ヒトが意識というものを獲得してからは、ヒトはこの右脳にひらめきく神の力を失ってしまい、ヒトは神々の存在を忘れかけている(神々の沈黙)と論述するのです。
ジュリアン·ジェインズの博識の下、多くの調査研究結果から発するこの考えは、小生には人間の本質的なものが強く感じられました。
ここに出てくる数千年の歴史を有するパンなどは、正に神の介在なしには語れないものと思わさせられます。なぜパンだけが膨らむのか、などと深淵な意味合いのあるものと思われます。
聖書の中にパンのことを"ヒトの作ったくだもの"という言葉がありますが、昔は今と違って、たべものの加工技術など極めて貧弱だったのです。砂くずの入った粉でねった平焼きパンなどは、熱を中まで通すためには長時間加熱し、周りはこげて食べられず、中心部のみまともに食べられるという代物だったでしょう。
それでもその頃この小麦のたべものは人間にとって極めておいしいものだったのでしょう。そのごろのおいしいものと言ったらやはり果物でしょう。甘くてジューシーで、今我々が食べているのと同じようなおいしい果物はあったはずです。
それに比べて、ヒトの作るものは何れもまずく、ひどいものだったでしょう。しかしヒトはこの果物を食べていたから、おいしいたべものとは何かは知っていたはずです。それを目標にたべものの加工技術は進歩したのでしょう。
だから、パンを"ヒトの作ったくだもの"と称し、このパンだけは神様の作ったくだものに匹敵するものだと言わんばかりです。
ギリシャの遺跡(紀元前400年)から、二人の神々がヒトの王子に麦の種子を手渡しているレリーフが掘り出されました。これをアテネの国立博物館で見た事があります。グルテンというパンに膨らみを与えるタンパク質は、極めてユニークであり、他の穀物にも存在しません。こうなるとやはり神々からのものということになるでしょうか。古代ローマ、古代ギリシャ、古代エジプト、あるいは更にもっと古い遺跡の中にもパンは彫刻物として残っているのも興味深いものです。
古代エジプトの時代にブーメイと称してイーストらしいものがこの平焼きパンに用いられるようになってくると、一段とパンの役割がヒトの文化の中にその重要性を帯びてくるようになりました。
そうしていつしかパンが日本に入ってきました。日本ではそういう神々との関係は全くなかったのです。しかしながら何らかの形で結びついている様に思われます。
その関わりの雰囲気を感じるのがこの三社の社会貢献です。
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