「製パンに於ける穀物」出版にあたり、その紹介。
本著「製パンに於ける穀物」は、スウェーデンの名門・ルンド大学のラルソン博士、エリアッソン博士らにより書かれた本"Cereals in Breadmaking"を私が翻訳したものである。
この本"Cereals in Breadmaking"の冒頭で、著者らは「いかなる化学、物理学、微生物学の知識も全くないままに、数千年前からパンの技術が完璧に磨かれてきたが、ここにいたって原材料から最終製品まですすむ化学的変化の複雑さを製パンの化学という学問で取り扱うことに成功した。長い間、顧みられなかったパンの化学には、小麦粉--水相互作用--が関与し、ドウ(生地)ミキシングからオーブン中でデンプンが糊化してパン構造に固定するまでのものである。これは界面およびコロイド化学の分野である。コロイド化学は、この分野を完全にカバーできる方法を与えてくれる唯一の学問分野である。だからこの分野の現象を小麦粉成分の化学的/分析的手法だけで理解しようとすると、我々は「木を見て森を見ない」ということになる。」と述べている。コロイド化学という観点で、製パンの化学を巧みにしかも立体的に解説した点がこの本の魅力である。
例えば、小麦粉加工食品の中で脂質の役割の重要性については以前からいろいろ推察されていたが、なかなかその正確な考え方が得られなかった。世界中の研究者によるその実験結果はいろいろであり、1つの定着した考え方が長い間なかったのである。ある研究者はたとえば脂質、特に極性脂質であろうが、それを小麦粉に添加する事で製パンがよくなるといったり、ある研究者は変わらないといったり、結果が研究者によっていろいろであった。ラルソン博士は製パンにおける脂質、特にリン脂質等の極性脂質の役割について、X腺を用いた知見を紹介され、条件によりヘキサゴナール構造、逆へキサゴナール構造、ラメラ構造等に変化するという新しい考え方をこの分野に持ち込まれ、そしてラメラ構造の重要性を紹介した。初めてこのことを読んで新鮮な印象を受けた事が思い出される。
製パンに於ける穀物の変化はまさにコロイド化学の現象であり、著者らが序論で述べているように分析的手法では"木を見ても森は理解できない"のであり、デンプン粒表面に於けるタンパク質との相互作用なども、本著でたくみにコロイド化学的に説明している。私、小麦デンプン粒表面がクロリネーションで親油化することを顕微鏡で観察する研究をしていた当時、コロイドレベルの正にタンパク質表面と他物質とのインターアクションの研究を進めていた頃のこと、エリアッソン博士が彼女のAACC大会発表で見ず知らずの私のデーターを引き合いにして発表されていたことなども思い出深い。
平成8年(1996)、ラルソン博士とは一度ご夫婦が来日された際に元花王石鹸(株)の水越正彦博士に東京でご紹介いただきお会いしたことがあり、大柄なジェントルマンだったと記憶している。また、エリアッソン博士とはAACCI(America Association of Cereal
Chemists, International)の年次大会で発表を拝見したことがある。おとなしそうな女性研究者のイメージであった。
この本が1993年に出版されてほぼ26年たつが、一向に色あせないし、本文に流れる考え方は、むしろますます研ぎ澄まされてゆくことを見るにつけ、我国の穀物科学に取り組もうとする若い研究者に一刻も早く本著を紹介したいと思い、ここに本著を著した次第である。
ラルソン博士、エリアッソン博士らは既に大学を離れ、連絡も採りにくくなっている。辛うじてエリアッソン博士からメールをいただき、私からの本著へのメッセージ依頼に対し、本意とする所は序論に全て書いたので新しい事はない、読者の皆様によろしくとのことである。
最後に「この本は、穀物技術の先端研究のために役立つ教科書となる様に作られた。我々は、また、世界中の穀物研究のアクテブな科学者たちがこの本を読むことを願っている。」と。
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