2013年3月11日 14:05 (瀬口 正晴)
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「チョコレートの帝国」ジョエル・G・ブレナー著 (みすず書房)を読んで。
「チョコレートの帝国」ジョエル・G・ブレナー著 (みすず書房)を読んで。
このブレナーによる本、"チョコレートの帝国"は418ページに及ぶ大きな本でした。アメリカでここ10数年にわたり読み続けられている本というだけあって、面白い内容の本でした。この本を読んで昔のことを思い出したのでここに御紹介いたします。
これは、アメリカンドリームを体験した人物ミルトン・ハーシーとフォレスト・マーズの話です。コーラとともにアメリカ大衆文化の象徴と言えるチョコレート産業、このうち常にトップの座にいる板チョコ、キスチョコのハーシー、大きな袋の中に入って色とりどりのM&Mマーブルチョコで知られるマーズのことです。つくづく両氏がアメリカンドリームの申し子だったのだなと思わさせられました。
ハーシーの板チョコレートは、ゼミ学生にアメリカ土産で買ってくる手頃な土産です。学生一人に一枚の板チョコレートは、チョコレートの上にハーシーと大きく横書きされた板チョコです。
森永、明治などの板チョコレートの方が厚くてボリウムもあって、ハーシーのものは薄っぺらで安物のチョコレートという感じです。しかしハーシーはアメリカ文化の原点と思って、この菓子をアメリカ土産としてたくさん買ってきます。
学生にハーシーといっても、ハーシーって何?と言われるのが関の山で、アメリカのこの菓子のことは知らないですね。最近は土産として押し付けるにはどうかなと思っています。
本著表紙写真にあるように、終戦直後、アメリカは何もない日本の子供にハーシーをばらまきました。そして日本人にアメリカの豊かさを押し付けました。
しかしハーシーのチョコレートはアメリカ軍用物質で、アメリカ兵の重要なエネルギー源でした。臭くなく、ハイカロリーで甘いというアメリカ軍の兵糧食であったとは意外でした。さらにチョコレートが戦後大きくクローズアップされて、アメリカ人の中に浸透して行くと言うプロセスも意外でした。
ハーシーの創始者(ミルトン・ハーシー)の考えたユートピアの町、ハーシータウンはチョコレートの利益をもとにして作り上げられた町でした。ハーシータウンは1919年(大正8年)頃、ペンシルバニア州の一面とうもろこし畑の中に一夜の内にこつ然と出現したといわれてます。町全体がハーシーのチョコレート工場で、ミルトン・ハーシーの理想郷でした。チョコレートを作りながら街全体が豊かなハーシーの町であり、税金、ガス等も全てハーシー社が支払うという夢のような町でした。中には学校などもありました。ミルトン・ハーシーはこの町をチョコレートの利益で作っていきました。しかしミルトンの通帳はゼロでした。こういった自己犠牲、博愛精神の元のユートピアの町もその後の組合活動運動などから崩れて行きました。
この本を読んで日本のチョコレート創始者森永太一郎のことを思い出しました。
森永太一郎は単身アメリカにわたり、アメリカの菓子を日本に紹介した立志伝中の人物です。ミルトン・ハーシーの考える実在しているユートピアのハーシータウンなどにも関心はあったことでしょう。
森永太一郎がチョコレート工場を鶴見、塚口に起こしたときに、そのモデルとなったのが、ハーシーのチョコレート工場と聞いたことがあります。まだ混乱期の日本に、ユートピアの様なハーシーのチョコレート工場を聞き、その様な工場を森永のキリスト教精神はモデルにしたのかもしれません。
たしか森永の資料などにもこのハーシーのチョコレート工場の写真の載っていたことが記憶にあります。小生はこの話を本書を見るまでは忘れていました。本著を読んで森永太一郎のこの思いがよみがえってきました。昔の企業人の偉さを感じます。
このブレナーによる本、"チョコレートの帝国"は418ページに及ぶ大きな本でした。アメリカでここ10数年にわたり読み続けられている本というだけあって、面白い内容の本でした。この本を読んで昔のことを思い出したのでここに御紹介いたします。
これは、アメリカンドリームを体験した人物ミルトン・ハーシーとフォレスト・マーズの話です。コーラとともにアメリカ大衆文化の象徴と言えるチョコレート産業、このうち常にトップの座にいる板チョコ、キスチョコのハーシー、大きな袋の中に入って色とりどりのM&Mマーブルチョコで知られるマーズのことです。つくづく両氏がアメリカンドリームの申し子だったのだなと思わさせられました。
ハーシーの板チョコレートは、ゼミ学生にアメリカ土産で買ってくる手頃な土産です。学生一人に一枚の板チョコレートは、チョコレートの上にハーシーと大きく横書きされた板チョコです。
森永、明治などの板チョコレートの方が厚くてボリウムもあって、ハーシーのものは薄っぺらで安物のチョコレートという感じです。しかしハーシーはアメリカ文化の原点と思って、この菓子をアメリカ土産としてたくさん買ってきます。
学生にハーシーといっても、ハーシーって何?と言われるのが関の山で、アメリカのこの菓子のことは知らないですね。最近は土産として押し付けるにはどうかなと思っています。
本著表紙写真にあるように、終戦直後、アメリカは何もない日本の子供にハーシーをばらまきました。そして日本人にアメリカの豊かさを押し付けました。
しかしハーシーのチョコレートはアメリカ軍用物質で、アメリカ兵の重要なエネルギー源でした。臭くなく、ハイカロリーで甘いというアメリカ軍の兵糧食であったとは意外でした。さらにチョコレートが戦後大きくクローズアップされて、アメリカ人の中に浸透して行くと言うプロセスも意外でした。
ハーシーの創始者(ミルトン・ハーシー)の考えたユートピアの町、ハーシータウンはチョコレートの利益をもとにして作り上げられた町でした。ハーシータウンは1919年(大正8年)頃、ペンシルバニア州の一面とうもろこし畑の中に一夜の内にこつ然と出現したといわれてます。町全体がハーシーのチョコレート工場で、ミルトン・ハーシーの理想郷でした。チョコレートを作りながら街全体が豊かなハーシーの町であり、税金、ガス等も全てハーシー社が支払うという夢のような町でした。中には学校などもありました。ミルトン・ハーシーはこの町をチョコレートの利益で作っていきました。しかしミルトンの通帳はゼロでした。こういった自己犠牲、博愛精神の元のユートピアの町もその後の組合活動運動などから崩れて行きました。
この本を読んで日本のチョコレート創始者森永太一郎のことを思い出しました。
森永太一郎は単身アメリカにわたり、アメリカの菓子を日本に紹介した立志伝中の人物です。ミルトン・ハーシーの考える実在しているユートピアのハーシータウンなどにも関心はあったことでしょう。
森永太一郎がチョコレート工場を鶴見、塚口に起こしたときに、そのモデルとなったのが、ハーシーのチョコレート工場と聞いたことがあります。まだ混乱期の日本に、ユートピアの様なハーシーのチョコレート工場を聞き、その様な工場を森永のキリスト教精神はモデルにしたのかもしれません。
たしか森永の資料などにもこのハーシーのチョコレート工場の写真の載っていたことが記憶にあります。小生はこの話を本書を見るまでは忘れていました。本著を読んで森永太一郎のこの思いがよみがえってきました。昔の企業人の偉さを感じます。
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