2016年4月13日 12:51 (
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眼のこと
Y先生へ;
先生の先日の教授会でのお話には驚きました。何かご参考になればと思い小生の体験談をここに書きます。
2013年12月17日に大学の忘年会では少々過剰に飲んで、ホテルから三宮までのバス中で吐き気を感じました。
翌18日、一日中眼が落ちつかず、特に右眼がそうでした。視界が歪んでひょっとしたら黄斑変性症だはなどと自ら想像いたしました。
19日に大学の保健室にゆき、そこで眼科(新長田眼科病院)を紹介されました。連絡すると4:00にこいという事で、会議途中から中座して病院に参りました。医師は椋野先生でした。視力検査、網膜の3次元の写真などとり、それらを見て、椋野先生開口一番に、「これ以上はよくなりません。これまで血圧が高かったでしょう。静脈がやぶれて出血してます。血管が詰まって、網膜中心静脈閉塞症です。」と言われました。
すぐ手術する事になりました。といっても年末で、翌年の1月7日手術することになりました。アバスチンを右眼球に注射する手術ということで、眼球手術とは何かとショックでした。右目を失っても片目ででも授業はできるだろう。血圧は170(上)、100(下)で、20日(金)には講義と実験実習があり、いつもと変わらずに淡々とすすめられました。授業中、左眼はグンとみえるけど、しかしまだ右眼も見えてました。右眼の視野の中心部はかすんで字は読めません。
21日予定していた卒業生との忘年会は、悪いけどといって中止しました。
白内障の手術した友人と電話して、眼科の手術の様子、コスト等いろいろ聞きました。22日は仕事は何もできないし、やる気もおこりません。右眼はあいかわらず霞んでます。うっすら雲がかかり、視力が落ちるということはこんなことかと思いました。網膜の黄点(焦点部)に文字を持ってきて、ここで文字を読むのですがその文字に雲がかかって読めません。
酒井内科に行き、血圧を調べると、上が190ありました。毎年1月1日の松本博氏の墓参り、今年は12月27日にはすませて手術に備えました。寒いこの日、何とも言えず心の沈んだ墓参でした。
自宅で何も考えずに休息するが、なんと快適な休息で、何十年ぶりかにとった休息のような感じでした。
VEGF (vascular endothelial growth factor)、血管内皮細胞増殖因子が原因です。右眼の網膜中の毛細血管が高血圧で破れ、血液が漏れでて、黄点を覆ったのでしょう。体は、新たな毛細血管を作るためにVEGFというホルモンを作ってここに送り込んだのです。このホルモンですぐに毛細血管が作成されますが、弱くて破れてまた出血します。このVEGFホルモンが邪魔です。そこでホルモンをつぶすために抗体の注入手術を行うわけです。
抗体はアバスチン、分子量149,000で、がん細胞で調製したドイツ製のモノクローナル抗体です。破れた毛細血管の止血には、血圧を下げることです。自らの体からのVEGFによる新たな毛細血管の調製など困った事です。
1/7手術の日です。12:00、二階のリカバー室(手術室)に行きました。血圧測定すると、はじめ上170以上あり、2回目も170以上ありました。点眼し、ユニフォームに着替え2時間まち、さらにまち、3時頃手術室に入って、歯科病院の様な台上に寝かされました。
まず消毒のため眼の周りを水洗し、さらに眼をつぶってタワシでごしごし洗って消毒しました。その顔面に白い布をかぶせて眼部のみ(右)開いています。
次に眼球にテープの様なものを貼付けられて、ぼんやりしていた視野がはっきりしてきたら、医師が来て、何か処理しました。眼球の中に赤い液状のものが見えました。消毒し、眼球に膜を貼付けてそれがぴたりと張り付いたとき、眼球に注液したようです。これが手術(注射)だったのでしょう。その間、僅か数秒でした。
さらに消毒などと言って、何やら処理してそれで手術は終了しました。一瞬の違和感があり、そこで注射したのでしょう。眼帯をつけ、台上からおろされて終了でした。
眼帯を外すなと言われ、1時間後には退院しました。
その後、ラノビヤク(止血用)、シナール(ビタミンC)、カリジノゲナーゼ(血行をよくする薬)を薬としていただいた。これ以上はアバスチンの注射はしないとのことでした。
あれから2年以上たちますが、3ヶ月おきの検診、特に網膜の3次元撮影も経過は良好で、右目はよく見えています。血圧には気を付けてます。
お元気で。
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