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2013年3月アーカイブ

2013年3月29日 12:08 (瀬口 正晴)

その後の女川、石巻の印象

東北大学における2013年度日本農芸化学会出席にあわせて、3月23日に石巻、女川方面のその後の様子を見てきました。今度で3回目です。


23日の早朝には私の乗る京都からの特急バスが到着し、そのまま仙台駅へ行きました。すぐ出る石巻行きの電車に乗りました。仙台から石巻へは2本の線があり、1本は仙石線と称して仙台から直接石巻まで向かうもので、もう1本は東北本線途中、小牛田駅で乗り換えて石巻に向かう石巻線です。

今回は仙石線で向かいました。

しかし電車は松島駅の次の高城駅までで、その先は矢本駅までJR バスでつながれていました。

高城駅から歩いて10分のところにバス停があり、そこからバスにのる不便なものでした。

矢本駅までは震災の影響で随所で線路が切れ、復旧工事中でした。

バスからは、まだ手のついていない箇所が随所に見られ、線路沿いの家屋なども震災で破壊されたままのものが多く見られました。すでに2年余たつのに、お気の毒にもまだこんな状態に驚かされました。

子供の頃、行ったことのある夏の海水浴場野蒜海岸は良好な海水浴場でしたが、この地区はとくに大きくダメージを受けたようでした。JR野蒜駅などはかなり被害を受けていて、駅の電線、電柱などまだ津波を受けたままの変形したそのままでした。復旧はここまで手が回らないのでしょう。こんなところが残っているのかと思われるような状態でした。

住民の方々にはボランテアが必要でしょう。


バスは矢本駅までゆき、そこからは石巻駅まで電車が通じていました。当日強風でしたが、途中そのため電車は止まったり、スピードを落としたりで用心深く走っていました。


石巻駅で下車、次の女川線まで1時間以上間があったので、市内を歩きました。石巻の町はかなりきれいに整理されていました。



石巻駅から女川駅までの女川線は浦宿駅(女川駅の1つ手前)まででした。そこから女川駅はわずか1駅ですが、JRバスで繋がっていました。渡波駅から浦宿駅までは前回見た通りでかなり落ち着いていて、途中の美しい万石浦などは殆ど被害はありませんでした。

浦宿駅からバスは高台にのぼりそこを越えて女川町に入って行くのですが、やはり高台から見た女川町は前回同様に箱庭のように何もありませんでした。

それでもずっと向こうの岸壁には大きな製氷施設など出来ていて、漁業には支障ないようになっていましたが、それは海に面したところでした。1メートル沈下した女川湾の岸壁はあたらに小さな仮設の岸壁も作られており、仮停泊できるようになっていて小さな漁船は数多く泊まっていました。

これは昨年にはなかった光景でした。漁民から早く船のつける岸壁をという強い要望の結果でしょう。

バスは高台にある女川第二小学校の、さらにその上の市民グランドのところが終点でした。JR女川駅はないのです。

女川の町は、現在広々としたグラウンド状の何もない広場です。そのグランドにはダンプカー用の大きな車道が縦横に走っていて、大きなダンプカーが行き来していて歩行者は危険な状況でした。

このグラウンドの海側には3-4軒の大きなビルが横倒しのままです。そのコンクリートブロックの中に赤い乗用車が挟まっているという有様でした。これなど一体どうするのでしょうか。昨年と全く変化していませんでした。

JR女川駅も全く跡形もありません。高台のところに長く横に垂れ幕が貼られ、"女川の町は俺たちが守る。 中村雅俊"、とありました。

彼は私の小学校の後輩でしょうか。

2013年3月18日 10:42 (瀬口 正晴)

田原さん、博士号おめでとう。

3月7日、本学 (神戸女子大学)学位論文審査委員会は、田原彩さんから提出された博士論文の審査を進め博士を決めました。

彼女の研究テーマは、「製パンへのセルロース粒の利用と新しい機能導入の可能性」"Application of Cellulose Granules as Food Materials in Bread-Making, and Its New Health-Promoting Functions"というもので、これまで本ブログで折に触れ紹介してきた内容です。

ご苦労様でした。ご本人の刻むような努力で、少しづつ前に進めて来た仕事です。論文内容はセルロースという不消化物をパンに混合して低カロリーパンを作り、さらにその表面に食用タール系色素を吸着し、これを体外に排出しようと言うものでした。


彼女は、同時に管理栄養士の資格も持つており、管理栄養士のレベルアップに大いに貢献してくれるものと期待してます。


2013年3月11日 14:05 (瀬口 正晴)

「チョコレートの帝国」ジョエル・G・ブレナー著 (みすず書房)を読んで。

「チョコレートの帝国」ジョエル・G・ブレナー著 (みすず書房)を読んで。


このブレナーによる本、"チョコレートの帝国"は418ページに及ぶ大きな本でした。アメリカでここ10数年にわたり読み続けられている本というだけあって、面白い内容の本でした。この本を読んで昔のことを思い出したのでここに御紹介いたします。

これは、アメリカンドリームを体験した人物ミルトン・ハーシーとフォレスト・マーズの話です。コーラとともにアメリカ大衆文化の象徴と言えるチョコレート産業、このうち常にトップの座にいる板チョコ、キスチョコのハーシー、大きな袋の中に入って色とりどりのM&Mマーブルチョコで知られるマーズのことです。つくづく両氏がアメリカンドリームの申し子だったのだなと思わさせられました。

ハーシーの板チョコレートは、ゼミ学生にアメリカ土産で買ってくる手頃な土産です。学生一人に一枚の板チョコレートは、チョコレートの上にハーシーと大きく横書きされた板チョコです。

森永、明治などの板チョコレートの方が厚くてボリウムもあって、ハーシーのものは薄っぺらで安物のチョコレートという感じです。しかしハーシーはアメリカ文化の原点と思って、この菓子をアメリカ土産としてたくさん買ってきます。

学生にハーシーといっても、ハーシーって何?と言われるのが関の山で、アメリカのこの菓子のことは知らないですね。最近は土産として押し付けるにはどうかなと思っています。

本著表紙写真にあるように、終戦直後、アメリカは何もない日本の子供にハーシーをばらまきました。そして日本人にアメリカの豊かさを押し付けました。

しかしハーシーのチョコレートはアメリカ軍用物質で、アメリカ兵の重要なエネルギー源でした。臭くなく、ハイカロリーで甘いというアメリカ軍の兵糧食であったとは意外でした。さらにチョコレートが戦後大きくクローズアップされて、アメリカ人の中に浸透して行くと言うプロセスも意外でした。


ハーシーの創始者(ミルトン・ハーシー)の考えたユートピアの町、ハーシータウンはチョコレートの利益をもとにして作り上げられた町でした。ハーシータウンは1919年(大正8年)頃、ペンシルバニア州の一面とうもろこし畑の中に一夜の内にこつ然と出現したといわれてます。町全体がハーシーのチョコレート工場で、ミルトン・ハーシーの理想郷でした。チョコレートを作りながら街全体が豊かなハーシーの町であり、税金、ガス等も全てハーシー社が支払うという夢のような町でした。中には学校などもありました。ミルトン・ハーシーはこの町をチョコレートの利益で作っていきました。しかしミルトンの通帳はゼロでした。こういった自己犠牲、博愛精神の元のユートピアの町もその後の組合活動運動などから崩れて行きました。


この本を読んで日本のチョコレート創始者森永太一郎のことを思い出しました。

森永太一郎は単身アメリカにわたり、アメリカの菓子を日本に紹介した立志伝中の人物です。ミルトン・ハーシーの考える実在しているユートピアのハーシータウンなどにも関心はあったことでしょう。

森永太一郎がチョコレート工場を鶴見、塚口に起こしたときに、そのモデルとなったのが、ハーシーのチョコレート工場と聞いたことがあります。まだ混乱期の日本に、ユートピアの様なハーシーのチョコレート工場を聞き、その様な工場を森永のキリスト教精神はモデルにしたのかもしれません。


たしか森永の資料などにもこのハーシーのチョコレート工場の写真の載っていたことが記憶にあります。小生はこの話を本書を見るまでは忘れていました。本著を読んで森永太一郎のこの思いがよみがえってきました。昔の企業人の偉さを感じます。

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