2013年7月アーカイブ
2013年7月30日 16:02 ( )「明治、父、アメリカ」著 星新一を読んで
星新一の本「明治、父、アメリカ」を以下の文面を拾いながら読みました。
私(星新一)の父は私が大学をでて、4年目ぐらいに死亡しました。
私が小学校3年生ぐらいのときだろうか、父は古本屋から「大学」という本を買ってきた。この本は論語、孟子、中庸とともに4書とよばれる本である。父は私をきちんとすわらせ、それを開き、火箸で一字ずつ押さえて読み、後に続けて読めと命じた。読めないと火箸でひっぱたくという。しかしそれは一回きりだった。1回きりにもかかわらず、私には印象的なことだった。昔の人はこうして字を習ったのだなと、具体的に知らされたのである。少年時代の回想するたびに懐かしく楽しい。
私(瀬口)も印象深い苦々しい思い出がありました。小学校の頃、突然父(明治生まれ)から机にすわらされ、a、b、c、----を教えられました。
数週間後に再び同じようにすわらされ、a、b、c、---を言わされました。はじめのa、b、c、ぐらいしか言えませんでした。お前は頭が悪いとさんざんしかられたことが思い出されました。そのことが未だに苦々しく思い出されます。この本を読んで、こういうやり方は星新一の父親のやり方といっしょだと思い出されました。昔のやり方は尋常ではありませんね。
父(星一)へのしつけと教育に関して喜三太(祖父)は厳しかった。文字を教えて、次にそれを読ませて、つっかえると火箸でひっぱたく。いうことを聞かぬと捕まえて腹にお灸である。祖母が父を大事にしすぎるのでそれを補うために厳格さを教える必要を感じていたのかもしれない。少年が手製の弓で矢を放った。それが飛んできて佐吉(父の子供の頃の名)にあたった。右の目に突き刺さった。心配した祖父は遠くの大きな町まで佐吉を連れて行った。やがてその目は失明してしまった。息子というものはそばにいると厳しくしつけをしたくなるが、遠くに勉強に出すと逆に心配の種になる。この時期佐吉は父の愛情を感じていたに違いがない。父親とは地味な存在である。裏方としての立場に満足しなければならない。いやそれで満足である。心の底でつながっている。何事も息子のために尽くす。厳しくしつけもするが、必要となるとできうる限りの力も貸すのである。
東京へ出た佐吉は家からの送りが十分でなかったのでほとんど苦学生といっていいほどの学生生活を送った。
そのころ佐吉は「西国立志編」(Self-Help) イギリス人サミュエルスマイルズを読む。この本は日本の多くの若者の心をとらえた。星佐吉もその一人というわけである。アメリカへ行きたくなる。西洋の様子と接したくなる。明治27年、明治28年の統計によると当時の日本人は、サンフランシスコに多かったが、7千人近くの日本人がいた。その多くの出稼ぎ労働者は英語を知らず、何の予備知識も無く、所持金も無い、大抵は農業関係の日雇い労働者となり、その日暮らしの食うや食わずの生活を続けることになるのである。アメリカに向かう船はその乗客たちの人生と運命を否応無しに大きく変えたのであった。
「お前のお母さんはきっと非常に立派な人なんでしょうね。ここの家でもこれまでに何人かの日本人を使ってみました。しかしどの人も同僚の悪口を言ったり、不平不満を口にしたりする。それなのに星は一度もそんなことは言わず、よく働いてくれている。お前のお母さんは、お前のような純真な子供を生み、忍耐づよく健康な青年に育てた。これは容易なことではありません。だから会わなくてもわかるのです。」と仕事先のアペンジャー夫人に言われた。「私の母ですからもちろん母を尊敬しております。しかし奥さんのようにおほめをいただくとは思ってもいませんでした。それを聞いたら母がどんなに喜ぶでしょう。」
世の中に多くの女性がいるが、おそらく私の母ほど親切な人はいなかったろうと思う。その上、人一倍の働きものだった。私の今日あるのは父から受けた教訓はそうでもないが、母の感化によるところがはるかに多いと思っている。女であるため学問をする機会に恵まれず、文字は読めなかったが頭は良かった。
星一のアメリカでの様子が伺われました。
フィラデルフィアの日本人の会合で、星は一人の青年と知り合った。野口英世という男で年齢は星より3つ下だ。野口は星を大学につれてゆき、顕微鏡を見せた。大抵の人は左目をつむって右目で覗き込む、専門家は両目をあけたままで左目でのぞき、それを右の目で紙にスケッチする。星のやり方を見て野口はいつおぼえたのかときいた。実は子供のころ右目に矢があたり、左目しか見えないのだ。それを聞いて野口は驚いてわびた。野口は金銭については計画性がかけていたが、それだけになりふり構わず研究に熱中した。一日一日の戦いの気分であった。
当時のアメリカには野口英世のような人もいました。
アメリカで学んだことの活用は販売法と行った表面的なものだけでなく、根本的な点であった。金持ちには金を出させ、従業員には仕事を与え、販売店には商品をまわし、消費者にはそれで生活を高めさせる。そしていずれの関係者にも利益の配当にあづからせる。この組織をつくりあげ、運営することこそ本当の意味の事業なのだ。これについての理解を人々に広めることができれば、わが国もアメリカのごとく活気ある能率的な国になってゆくのではないだろうか。
ーーーーと拾い読みしました。
サミエルスマイルズ「西国立志編」の本は当時の日本のベストセラーであったといいます。若い人に新しい一つの道を示しました。若い人をアメリカへ、ヨーロッパへと押し出しました。その中に星一がいました。
大変な努力をしてアメリカ人の思想を体得して帰国し、この「明治、父、アメリカ」に続く次の本「人民は弱し、官吏は強し」に入ってゆきます。この中では日本の役人(官吏)と星一のもつアメリカの合理性が激しくぶつかって、星一はつぶされてゆく様子が描かれています。立志伝中の人物、星一は、アメリカで学んだ考え方で事業を起こし、日本の官吏の社会の中でつぶされてゆきました。こうして日本にはアメリカ社会とは異なる日本独自の高圧的社会(官吏が指導する社会)が綿々と続いているというような感想を抱きました。
私(星新一)の父は私が大学をでて、4年目ぐらいに死亡しました。
私が小学校3年生ぐらいのときだろうか、父は古本屋から「大学」という本を買ってきた。この本は論語、孟子、中庸とともに4書とよばれる本である。父は私をきちんとすわらせ、それを開き、火箸で一字ずつ押さえて読み、後に続けて読めと命じた。読めないと火箸でひっぱたくという。しかしそれは一回きりだった。1回きりにもかかわらず、私には印象的なことだった。昔の人はこうして字を習ったのだなと、具体的に知らされたのである。少年時代の回想するたびに懐かしく楽しい。
私(瀬口)も印象深い苦々しい思い出がありました。小学校の頃、突然父(明治生まれ)から机にすわらされ、a、b、c、----を教えられました。
数週間後に再び同じようにすわらされ、a、b、c、---を言わされました。はじめのa、b、c、ぐらいしか言えませんでした。お前は頭が悪いとさんざんしかられたことが思い出されました。そのことが未だに苦々しく思い出されます。この本を読んで、こういうやり方は星新一の父親のやり方といっしょだと思い出されました。昔のやり方は尋常ではありませんね。
父(星一)へのしつけと教育に関して喜三太(祖父)は厳しかった。文字を教えて、次にそれを読ませて、つっかえると火箸でひっぱたく。いうことを聞かぬと捕まえて腹にお灸である。祖母が父を大事にしすぎるのでそれを補うために厳格さを教える必要を感じていたのかもしれない。少年が手製の弓で矢を放った。それが飛んできて佐吉(父の子供の頃の名)にあたった。右の目に突き刺さった。心配した祖父は遠くの大きな町まで佐吉を連れて行った。やがてその目は失明してしまった。息子というものはそばにいると厳しくしつけをしたくなるが、遠くに勉強に出すと逆に心配の種になる。この時期佐吉は父の愛情を感じていたに違いがない。父親とは地味な存在である。裏方としての立場に満足しなければならない。いやそれで満足である。心の底でつながっている。何事も息子のために尽くす。厳しくしつけもするが、必要となるとできうる限りの力も貸すのである。
東京へ出た佐吉は家からの送りが十分でなかったのでほとんど苦学生といっていいほどの学生生活を送った。
そのころ佐吉は「西国立志編」(Self-Help) イギリス人サミュエルスマイルズを読む。この本は日本の多くの若者の心をとらえた。星佐吉もその一人というわけである。アメリカへ行きたくなる。西洋の様子と接したくなる。明治27年、明治28年の統計によると当時の日本人は、サンフランシスコに多かったが、7千人近くの日本人がいた。その多くの出稼ぎ労働者は英語を知らず、何の予備知識も無く、所持金も無い、大抵は農業関係の日雇い労働者となり、その日暮らしの食うや食わずの生活を続けることになるのである。アメリカに向かう船はその乗客たちの人生と運命を否応無しに大きく変えたのであった。
「お前のお母さんはきっと非常に立派な人なんでしょうね。ここの家でもこれまでに何人かの日本人を使ってみました。しかしどの人も同僚の悪口を言ったり、不平不満を口にしたりする。それなのに星は一度もそんなことは言わず、よく働いてくれている。お前のお母さんは、お前のような純真な子供を生み、忍耐づよく健康な青年に育てた。これは容易なことではありません。だから会わなくてもわかるのです。」と仕事先のアペンジャー夫人に言われた。「私の母ですからもちろん母を尊敬しております。しかし奥さんのようにおほめをいただくとは思ってもいませんでした。それを聞いたら母がどんなに喜ぶでしょう。」
世の中に多くの女性がいるが、おそらく私の母ほど親切な人はいなかったろうと思う。その上、人一倍の働きものだった。私の今日あるのは父から受けた教訓はそうでもないが、母の感化によるところがはるかに多いと思っている。女であるため学問をする機会に恵まれず、文字は読めなかったが頭は良かった。
星一のアメリカでの様子が伺われました。
フィラデルフィアの日本人の会合で、星は一人の青年と知り合った。野口英世という男で年齢は星より3つ下だ。野口は星を大学につれてゆき、顕微鏡を見せた。大抵の人は左目をつむって右目で覗き込む、専門家は両目をあけたままで左目でのぞき、それを右の目で紙にスケッチする。星のやり方を見て野口はいつおぼえたのかときいた。実は子供のころ右目に矢があたり、左目しか見えないのだ。それを聞いて野口は驚いてわびた。野口は金銭については計画性がかけていたが、それだけになりふり構わず研究に熱中した。一日一日の戦いの気分であった。
当時のアメリカには野口英世のような人もいました。
アメリカで学んだことの活用は販売法と行った表面的なものだけでなく、根本的な点であった。金持ちには金を出させ、従業員には仕事を与え、販売店には商品をまわし、消費者にはそれで生活を高めさせる。そしていずれの関係者にも利益の配当にあづからせる。この組織をつくりあげ、運営することこそ本当の意味の事業なのだ。これについての理解を人々に広めることができれば、わが国もアメリカのごとく活気ある能率的な国になってゆくのではないだろうか。
ーーーーと拾い読みしました。
サミエルスマイルズ「西国立志編」の本は当時の日本のベストセラーであったといいます。若い人に新しい一つの道を示しました。若い人をアメリカへ、ヨーロッパへと押し出しました。その中に星一がいました。
大変な努力をしてアメリカ人の思想を体得して帰国し、この「明治、父、アメリカ」に続く次の本「人民は弱し、官吏は強し」に入ってゆきます。この中では日本の役人(官吏)と星一のもつアメリカの合理性が激しくぶつかって、星一はつぶされてゆく様子が描かれています。立志伝中の人物、星一は、アメリカで学んだ考え方で事業を起こし、日本の官吏の社会の中でつぶされてゆきました。こうして日本にはアメリカ社会とは異なる日本独自の高圧的社会(官吏が指導する社会)が綿々と続いているというような感想を抱きました。
中川先生のはがき
昨年の夏に札幌、釧路と学会をかねて北海道旅行したことをブログに書きました。その中、釧路の小学校時代の思い出も書きました。さらに東栄小学校時代の恩師中川先生のことも書きました。
今年のお正月の年賀状の中に中川先生からいただいたものがありました。懐かしくて北海道旅行のブログのコピーを送りました。しばらくしてから先生からはがきをいただきました。
釧路のことを憶えてくれてありがとうと。
"ところで、ご両親はお元気ですか。家庭訪問の時のご両親の笑顔が目についてはなれません"と言ってこられました。先生は84歳になったと言われます。
すぐに返事を書きました。父は昭和54年、母は平成13年になくなりましたと。
この先生のはがきをみて、人の印象というものは面白いものだなと思いました。
両親がそのとき何を言ったのかわかりませんが、それよりも先生には笑顔の表情が印象に残っていたのですね。
人と人とのつながりとは、笑顔なのだなと思いました。みなさんにもお伝えします。
何気ない笑顔が printされるのですね。
今年のお正月の年賀状の中に中川先生からいただいたものがありました。懐かしくて北海道旅行のブログのコピーを送りました。しばらくしてから先生からはがきをいただきました。
釧路のことを憶えてくれてありがとうと。
"ところで、ご両親はお元気ですか。家庭訪問の時のご両親の笑顔が目についてはなれません"と言ってこられました。先生は84歳になったと言われます。
すぐに返事を書きました。父は昭和54年、母は平成13年になくなりましたと。
この先生のはがきをみて、人の印象というものは面白いものだなと思いました。
両親がそのとき何を言ったのかわかりませんが、それよりも先生には笑顔の表情が印象に残っていたのですね。
人と人とのつながりとは、笑顔なのだなと思いました。みなさんにもお伝えします。
何気ない笑顔が printされるのですね。
バナナを用いたセリアック病患者用のグルテンフリーパンの開発研究進展-2
バナナの過熟、40日目頃の真っ黒になった組織の粘りを利用して、グルテンフリーパンを得ることができました。
黄色のバナナの場合、10/1(デンプン/糖)の比率のバナナ組織が、過熟するとその比率は1/10となり、デンプンは崩壊してきます。細胞壁のペクチン質なども変化し、細胞壁自体がなくなります。こうなるとバナナは極めて強い粘性を示し、グルテンに匹敵するほどの製パン適性(パン高、比容積)を与えるようになります。これまでこの性質を利用してグルテンフリーパンを調製してきました。
ここで問題になるのは、ジネンジョ同様にパン組織を作るデンプンでした。ジネンジョの粘性を用いてグルテンフリーパンを作ったときには、まだ小麦デンプンを用いていました。しかしそこに微量ながら混入するグルテンが心配でしたが、やはりこのパンでも同様の心配事でした。
小麦グルテンから完全に逃れるのには、やはりデンプンにイモ等の小麦以外の穀物デンプンの応用が必要です。いろいろな試験の結果、イモデンプンでも十分なパン高、比容積を与えるグルテンフリーパンの得られることがわかりました。
バナナとイモデンプンのみからなるパンのできることがわかりました。
黄色のバナナの場合、10/1(デンプン/糖)の比率のバナナ組織が、過熟するとその比率は1/10となり、デンプンは崩壊してきます。細胞壁のペクチン質なども変化し、細胞壁自体がなくなります。こうなるとバナナは極めて強い粘性を示し、グルテンに匹敵するほどの製パン適性(パン高、比容積)を与えるようになります。これまでこの性質を利用してグルテンフリーパンを調製してきました。
ここで問題になるのは、ジネンジョ同様にパン組織を作るデンプンでした。ジネンジョの粘性を用いてグルテンフリーパンを作ったときには、まだ小麦デンプンを用いていました。しかしそこに微量ながら混入するグルテンが心配でしたが、やはりこのパンでも同様の心配事でした。
小麦グルテンから完全に逃れるのには、やはりデンプンにイモ等の小麦以外の穀物デンプンの応用が必要です。いろいろな試験の結果、イモデンプンでも十分なパン高、比容積を与えるグルテンフリーパンの得られることがわかりました。
バナナとイモデンプンのみからなるパンのできることがわかりました。
薄力小麦粉の乾熱処理の研究
小麦粉を乾熱処理すると、カステラの膨化が良くなるとか、パンケーキの弾力性が良くなるとか、これまで研究を進めてきました。
何れも小麦粉の疎水化の増加が原因と考えられます。特に小麦粉の7割を占める小麦デンプン粒表面が強く疎水的に変化し、これらの製菓材料に有効に働いているものと思われます。
さらに、小麦粉の中でおこる変化について、小麦粉(1)に水(1)を添加後、この高粘度のバッターは乾熱処理小麦粉を使うとさらに粘度(BU)のあがることがわかりました。興味深い現象です。
小麦粉は水溶性(WS)、グルテン(G)、プライムスターチ(PS)、テーリングス(T)区分からなりますが、WS、G区分をのぞいた場合、乾熱処理が同様の粘度変化の結果をもたらすのかどうか、メカニズム追求の点から興味深い点です。
ソーセージに小麦粉バッターを付着させ、油であげて食べるアメリカンドッグでは、そのバッター付着量が経時的に低下することが知られてます。その原因は小麦粉中のキシラナーゼの作用によるという報告もあります。乾熱処理でバッター粘度があがるとすると、経時的な付着量の低下も押さえることができるのではないでしょうか。
この辺の研究は卒論学生、中川真理子さんが担当して実験を進めています。
中川さんも大学院進学を希望してます。以下は彼女への推薦文です。
中川真理子さんは昨年夏(3回生後期)から食品加工学研究室で卒論研究「乾熱処理による薄力小麦粉の水中あるいは油中における物性の変化」を行っています。乾熱処理により薄力小麦粉の物性変化は大きく、そのためカステラ、パンケーキ類の菓子類のBaking後の膨化、弾力性の変化は大きいです。これまで当研究室ではこの関連で数々の業績をあげてきました。現在、その中でも未処理小麦粉に比べ、乾熱処理薄力小麦粉/水、乾熱処理薄力小麦粉/油中でその粘度が大きく変化する原因ついて調べています。これまで定性的には経験されてはきましたが、未だ正確な調査には至っていません。今春から中川真理子さんがこの研究を進めています。乾熱処理の条件、120℃2時間で、小麦粉は大きくその粘度を変化しますが、本人はこの現象に大変に興味を抱いています。今後さらに小麦粉の酢酸分画(水溶性、グルテン、プライムスターチ、テーリングス各区分)研究により、いずれの区分とこの乾熱処理効果が関連あるのかを調べてゆく予定です。今後、乾熱処理小麦粉の利用については世界的に広がり、その時彼女の進める基礎研究は重要なものとなるでしょう。中川さんにはこの研究に力を注いでもらい、食品加工分野で大きく貢献してもらいたい。彼女は実験予定日には早朝から出校し、実験をすすめるという熱心さがあります。大学院入学を推薦します。
何れも小麦粉の疎水化の増加が原因と考えられます。特に小麦粉の7割を占める小麦デンプン粒表面が強く疎水的に変化し、これらの製菓材料に有効に働いているものと思われます。
さらに、小麦粉の中でおこる変化について、小麦粉(1)に水(1)を添加後、この高粘度のバッターは乾熱処理小麦粉を使うとさらに粘度(BU)のあがることがわかりました。興味深い現象です。
小麦粉は水溶性(WS)、グルテン(G)、プライムスターチ(PS)、テーリングス(T)区分からなりますが、WS、G区分をのぞいた場合、乾熱処理が同様の粘度変化の結果をもたらすのかどうか、メカニズム追求の点から興味深い点です。
ソーセージに小麦粉バッターを付着させ、油であげて食べるアメリカンドッグでは、そのバッター付着量が経時的に低下することが知られてます。その原因は小麦粉中のキシラナーゼの作用によるという報告もあります。乾熱処理でバッター粘度があがるとすると、経時的な付着量の低下も押さえることができるのではないでしょうか。
この辺の研究は卒論学生、中川真理子さんが担当して実験を進めています。
中川さんも大学院進学を希望してます。以下は彼女への推薦文です。
中川真理子さんは昨年夏(3回生後期)から食品加工学研究室で卒論研究「乾熱処理による薄力小麦粉の水中あるいは油中における物性の変化」を行っています。乾熱処理により薄力小麦粉の物性変化は大きく、そのためカステラ、パンケーキ類の菓子類のBaking後の膨化、弾力性の変化は大きいです。これまで当研究室ではこの関連で数々の業績をあげてきました。現在、その中でも未処理小麦粉に比べ、乾熱処理薄力小麦粉/水、乾熱処理薄力小麦粉/油中でその粘度が大きく変化する原因ついて調べています。これまで定性的には経験されてはきましたが、未だ正確な調査には至っていません。今春から中川真理子さんがこの研究を進めています。乾熱処理の条件、120℃2時間で、小麦粉は大きくその粘度を変化しますが、本人はこの現象に大変に興味を抱いています。今後さらに小麦粉の酢酸分画(水溶性、グルテン、プライムスターチ、テーリングス各区分)研究により、いずれの区分とこの乾熱処理効果が関連あるのかを調べてゆく予定です。今後、乾熱処理小麦粉の利用については世界的に広がり、その時彼女の進める基礎研究は重要なものとなるでしょう。中川さんにはこの研究に力を注いでもらい、食品加工分野で大きく貢献してもらいたい。彼女は実験予定日には早朝から出校し、実験をすすめるという熱心さがあります。大学院入学を推薦します。
セリアック病患者用のグルテンフリーパンの開発研究進展
小麦粉グルテンの引き起こすセリアック病は、ヨーロッパ、アメリカの1-10% ほどの人々が被る恐ろしい病気です。この病気は、グルテン、あるいは小麦以外の麦類のもつタンパク質のある種のアミノ酸配列(例えばQQPGQG,QQPGQG, QQPGQG, QQPGQG等)が原因とし、人間の小腸の柔毛が欠如して引き起こされる病気です。柔毛が無ければ食物から栄養成分を獲得できず、死に至る怖い病気です。
ビールなど、大麦の関与するアルコール飲料なども飲むことはできません。グルテンタンパク質はハム、ソーセージなどの加工食品のつなぎ材料にも用いられますが、そこにはグルテン使用の表示がない、とそれを知らない患者たちにとっては大きな恐怖でしょう。
従って、自ら食する各加工食品中にグルテンがどのぐらい混入しているのかをチェックしなければなりません(簡単な試験紙で判定できます)。
日本人も今やパン(小麦)を食べずに生きていけるヒトがどのぐらいいるだろうか、という食生活の時代に入ってきました。日本人はじめ、東洋人(米食中心だった)にとっても、これからグルテンのことは大きな社会問題になる問題です。
これまで当研究室では、小麦グルテンに置き換わる粘りのある食材として、ヤマイモに注目してきました。特にそのうちジネンジョという日本独自の材料、これは独特の粘性多糖類を有し、グルテンとは一切関係ないことに注目してこれまで膨化食品(パン)を製造してきました。しかしそのパン原料(ジネンジョ、デンプン、イースト、砂糖、水)中のデンプンに小麦デンプンを用いてきました。
この小麦粉デンプン粒は表面にフリアビリン等のタンパク質が存在していたり、あるいは微量のグルテンなども付着して混入の恐れがあるであろうと指摘されてきました。
いろいろトラブルがありながらポテトデンプン、甘藷デンプンでパン高, 比容積、ともに 小麦パンに匹敵するほどのものを得ることに成功しました。
さらにヤマイモ以外の小麦粉グルテンを含まない粘性食材を探し、小麦デンプン以外のデンプンをさがし、目的とする膨化食品を作ることに成功しました。粘性食品の好きな日本に存在する一連の膨化食材を片っ端から小麦粉に置き換えてテストし、小麦デンプン以外のデンプンとの組み合わせを考えて、あたらな膨化食品の製造に進んでいます。
4年生のゼミ生、井関さんは大学院入学を希望しており、近く行われる大学院入試に合格してくれれば本研究に本格的に参入してもらう予定です.。以下推薦文。
井関杏子さんは、昨年夏(3回生後期)から食品加工学研究室で卒業研究「ヤマイモ/各種デンプン(ポテト、甘藷、米、トウモロコシデンプン)を用いたセリアック病患者用パンの研究」を進めています。本研究は当食品加工研究室の大きな研究テーマの一つであり、井関さんの仕事に大いに期待しています。セリアック病とは、小麦粉グルテンに基づく遺伝病で、グルテン中の或る特殊なペプチド鎖が原因です。そのため患者の小腸柔毛が消失するという病気で、ヨーロッパ、アメリカ人の1−10%の人がかかり、子供はそのため死に至ります。グルテンという粘性を有する食材に変わり、ヤマイモ、バナナ等の食材を求めて研究を進めてきました。そのうちヤマイモによるグルテンフリーパンの成果は既に論文化してきました。しかしそこに用いられたデンプンには小麦粉デンプンを用いたため、そこからの微量グルテンの混入が危惧されます。井関さんはポテト、甘藷、米、トウモロコシデンプン等の小麦デンプン以外のデンプンを用いて、このヤマイモパンの研究を進めています。目下興味を持ってポテトデンプンにとりくんでいて、よい成果が得られています。その後には他のデンプンを用いてこのヤマイモパン製造をすすめ、さらに新たな粘性食材の検索によりグルテンフリーパンの体系化を進めようと意気込んでいます。彼女は着々と実験をすすめるという熱心さがあります。大学院入学を推薦します。
ビールなど、大麦の関与するアルコール飲料なども飲むことはできません。グルテンタンパク質はハム、ソーセージなどの加工食品のつなぎ材料にも用いられますが、そこにはグルテン使用の表示がない、とそれを知らない患者たちにとっては大きな恐怖でしょう。
従って、自ら食する各加工食品中にグルテンがどのぐらい混入しているのかをチェックしなければなりません(簡単な試験紙で判定できます)。
日本人も今やパン(小麦)を食べずに生きていけるヒトがどのぐらいいるだろうか、という食生活の時代に入ってきました。日本人はじめ、東洋人(米食中心だった)にとっても、これからグルテンのことは大きな社会問題になる問題です。
これまで当研究室では、小麦グルテンに置き換わる粘りのある食材として、ヤマイモに注目してきました。特にそのうちジネンジョという日本独自の材料、これは独特の粘性多糖類を有し、グルテンとは一切関係ないことに注目してこれまで膨化食品(パン)を製造してきました。しかしそのパン原料(ジネンジョ、デンプン、イースト、砂糖、水)中のデンプンに小麦デンプンを用いてきました。
この小麦粉デンプン粒は表面にフリアビリン等のタンパク質が存在していたり、あるいは微量のグルテンなども付着して混入の恐れがあるであろうと指摘されてきました。
いろいろトラブルがありながらポテトデンプン、甘藷デンプンでパン高, 比容積、ともに 小麦パンに匹敵するほどのものを得ることに成功しました。
さらにヤマイモ以外の小麦粉グルテンを含まない粘性食材を探し、小麦デンプン以外のデンプンをさがし、目的とする膨化食品を作ることに成功しました。粘性食品の好きな日本に存在する一連の膨化食材を片っ端から小麦粉に置き換えてテストし、小麦デンプン以外のデンプンとの組み合わせを考えて、あたらな膨化食品の製造に進んでいます。
4年生のゼミ生、井関さんは大学院入学を希望しており、近く行われる大学院入試に合格してくれれば本研究に本格的に参入してもらう予定です.。以下推薦文。
井関杏子さんは、昨年夏(3回生後期)から食品加工学研究室で卒業研究「ヤマイモ/各種デンプン(ポテト、甘藷、米、トウモロコシデンプン)を用いたセリアック病患者用パンの研究」を進めています。本研究は当食品加工研究室の大きな研究テーマの一つであり、井関さんの仕事に大いに期待しています。セリアック病とは、小麦粉グルテンに基づく遺伝病で、グルテン中の或る特殊なペプチド鎖が原因です。そのため患者の小腸柔毛が消失するという病気で、ヨーロッパ、アメリカ人の1−10%の人がかかり、子供はそのため死に至ります。グルテンという粘性を有する食材に変わり、ヤマイモ、バナナ等の食材を求めて研究を進めてきました。そのうちヤマイモによるグルテンフリーパンの成果は既に論文化してきました。しかしそこに用いられたデンプンには小麦粉デンプンを用いたため、そこからの微量グルテンの混入が危惧されます。井関さんはポテト、甘藷、米、トウモロコシデンプン等の小麦デンプン以外のデンプンを用いて、このヤマイモパンの研究を進めています。目下興味を持ってポテトデンプンにとりくんでいて、よい成果が得られています。その後には他のデンプンを用いてこのヤマイモパン製造をすすめ、さらに新たな粘性食材の検索によりグルテンフリーパンの体系化を進めようと意気込んでいます。彼女は着々と実験をすすめるという熱心さがあります。大学院入学を推薦します。