2025年6月24日 09:41 (
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長尾精一先生のこと
長尾精一先生のこと
長尾精一先生が、去る6月1日に誤嚥性肺炎のため御逝去された。松本先生とともに、長尾先生にはさまざまなご指導を賜り、現在の自分があるのも両先生のおかげだと感じている。思い出を記録にとどめておくことが必要だと感じ、筆を執った。
松本博先生とは長いお付き合いだったと思われる。1974年にAACC JAPAN SECTIONを作られた時にもお二人でAACCモントリオール大会に出向き、本会の作成にご尽力された。そして関西穀物科学研究会のツインの会としてAACC JAPAN SECTIONをスタートされた。
思い返せば、アメリカでのAACC大会に、あるいはICCの大会に出席するたびに、先生とお会いすることが常だった。そうした場で先生と親しく言葉を交わすようになった。先生は若い頃会社からアメリカに派遣され、しばらくワシントンに滞在し、広く小麦粉関連情報の研究を行ったと伺った。そこで海外の研究者や企業人、大学関係者と深いネットワークを築かれ、会話力を体得し国際的な場でも常に日本の代表的な存在であった。先生はAACC、或いはICCの理事を務めたり重要メンバーでもあった。写真を交えてわかりやすく国際学会内容をまとめて製粉振興誌(財団法人製粉振興会)に公表されていた。小生もそういう仕事をしてみたいと強く感じたことを思い出す。先生の紹介を受けいくつか報告を同雑誌に寄稿を行なうようになった。先生は、米国の著名な研究者ポメランツの著作を翻訳され、パンニュース社から出版されたことがあった。300~500ページにおよぶ大著で、よくこれほどの仕事を一人で成し遂げたものだと感銘を受けた。ポメランツ氏にはAACC大会のおり、長尾先生が小生のこと, "Japanese active scientist"などと紹介してくれ感激したことがあった。いつかの機会に、先生の執筆方法についてお話を伺ったところ、「毎朝、自宅から職場までの通勤電車の中で少しずつ進め、一冊を完成させた」とのお話だった。通勤時間を活用したその粘り強さに驚かされ、私も京都ー神戸間の通勤時間を使って仕事を始めた。いいアドバイスだった。第75回AACC大会(ダラス)(1990年10月15日)は長尾先生にとり重要な大会だった。会の最高の賞(ゲッデス賞)を長尾先生が頂かれたのだ。彼の受賞挨拶に中で、「日清製粉の名前が、こんな形で世界中の関係者に伝えられるなんて、個人的な名誉をさておき、こんな嬉しい事は無い」と言われ、「この感激の瞬間に妻がいないのは誠に残念で今晩国際電話をしてこの喜びを共にしたい」と言われた。会社あってのご自分、家族あってのご自分を言われ、長尾さんの心の中が理解できた。その時の写真がある。日本人会の集まりの中で、花束をさしあげたら大変に喜んでくれた。立派な挨拶は国際的感覚を身につけた正に「ジェントルマン」であった。
AACCやICCの大会では、私の拙い英語の発表にも必ず顔を出してくださり、温かく耳を傾けてくださった。ギリシャでの大会では、奥様とともにいらっしゃり、私も娘を連れて参加した楽しい思い出がある。長尾先生から研究についてご相談、ご意見を受けたことはなかったが、日清製粉が研究者支援の研究助成を、先生の御推薦で一度頂戴したことがある。先生からこうしてご支援頂いていたのだと感じた。AACCミネアポリス大会だったか、長尾先生が発案され、日本人による若手の穀物研究発表のセクションが持たれ、小生、岩手大三浦先生、東京農大高野先生らが発表したのを思い出す。長尾先生が盛んに我々若手の研究者を売り込んでくれたのである。
日清製粉という大企業の枠組みに縛られることなく、企業人でありながらも大学人と同様の業績を残し、国際的にも日本の「顔」として、日清の、或いは日本の信用にも大いに貢献された方である。私などは、企業の枠を超えた活動がしにくかったが、長尾先生はそれを自然にやってのけておられた。その背景には、日清製粉という会社の理解と支援、そして先生ご自身の日清を愛する信念と情熱があったのだろう。「企業人」でありながら「国際人」として大きく羽ばたき、日本の学会活動を牽引された功績は、まさに偉大であった。AACCの大きなゲッデス賞は、企業丸ごとの受賞の喜びであるという彼の言葉が如実に彼の日清を愛する彼の考えを述べている。ゲッデス賞の受賞講演では奥様、ご家族のことも述べられていらした。小生のいた神戸女子大学は須磨の山側にあり、谷を挟んで大学の向かいには当時 日本ではめずらしかった子供病院があった。お孫さんが小学校時代、高いところから落ちて大きな怪我をされここに運び込まれたこと懐かしがっておられ、先日お会いした時には彼も立命館大学に入ったと喜んでおられ、ご家族のお話もよく伺った。奥様をはじめご家族を大切にしておられた。
長尾先生の言葉で印象に残っているのは、
「最近の食パンに、8枚切りがあるけど、あれはどうだろう?」という言葉だ。
常に現場に目を向け、未来を見据えた視点を持つ先生だった。改めてその偉業を偲び、心よりご冥福をお祈り申し上げる。
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