岩井和夫先生、お世話になりました。
平成5年に京都聖母女学院短期大学より神戸女子大学へ移動した時の、家政学部・学部長が岩井先生だった。当時、大学には岩井和夫、千葉英雄、栃倉辰六郎先生が京都大学御定年後移動して来られおり、いずれも京都から通勤しておられた。家政学部C館2階の小生の研究室から岩井先生の研究室はすぐ上階だった。一度ご挨拶に研究室を訪問したことがあった。先生はご不在だったが行って驚いたことには、先生在籍の机上には、山のように書類が積まれていてその積み重ね方が尋常では無く一枚一枚の書類は木から散った木の葉がそのまま積み上げられていた様であった。実にうずたかくそれらが一枚ずつ積み上げられており、印象的だった。
林真千子さんは、松本 博先生が食品加工学研究室の教授で私が助教授の時の院生であった。その後部屋の助手になった。松本先生から林真千子さんの修士課程の研究テーマと指導を頼まれ、その頃進めていた小生の研究テーマ、小麦粉の酢酸ガス処理による製パン性の改良研究というものだったが、これでいいかというと本人もやりたいということで進めた。仕事は順調に進み、修論作成に至った。本人の熱意をもって論文がまとめられた。大学院の論文審査にかける段階に至り、小生はその時まだ大学院担当教員ではなかったことから、岩井先生にその担当教官をお願いした時、岩井先生はこれを了承され林真千子さんの審査は合格となった。本学には岩井先生のご尽力で博士後期課程ができ、食物栄養学博士号の取得が可能であった。小生は博士後期課程教員となった。林さんは助手になると同時に博士号取得への挑戦研究が始まった。彼女の努力で、本研究は前に進み、英文論文6報が完成し、食物栄養学博士号が獲得できた。これも岩井先生の林さんへのバックアップがあったおかげであった。林真千子さんはその後、四條畷女子短期大学の非常勤講師などの女子教育を行なっている。その後、この管理栄養士博士後期養成課程のシステムを使って、小生の研究室から楠瀬千春、林美保、竹内美貴、中村智英子、田原彩、森元直美さんらが次々と食物栄養学博士となり巣立っていった。大学教員冥利につきる人育ての仕事ができた。小生の名誉となった。岩井先生のおかげであった。
いつか先生に小生の書いた小冊子「パンを研究する中で」を差し上げたことがある。小生が自分のブログに書いたものを自己出版したものだったが、先生からお返事をいただき、「目次、前がき、あとがき、ページ数が無いではないか、コレは本ではない、このようなものは本として認められない」と。こっぴどくやられた。確かなそうだったと思い、以後出版の本にはきちんと本の体裁を整え製本した。それ以後、先生に差し上げるたびにきちんとお礼狀をいただき、謹呈を続けてきた。先生のご定年退職後も、先生のご自宅、京都山科の音羽までは自宅宇治市から自転車で30分ほどでいけた為、ご自宅に本を謹呈した。以後10冊ほど差し上げた。しかし数年前、お邪魔した時には門前のポストに「足不自由のため出られず失礼する」の札が出ていて、その際は郵送した。しかし流石に昨年は先生のご高齢と思い、あるいは同僚の栃倉先生もご逝去され、先生への献本は御遠慮していた。しかしセントネリアン(100歳)に達したとお元気な年賀状をいただき、急いで郵送で献本した。しばらくして丁寧なお礼状をいただき(1月11日)、きちんと手にとっていただき、その文面にも驚いた。多少筆跡が泳ぎごしで、先生の本来のものと違った。しばらくして柴田克己先生からメールいただき、先生のご逝去(2月14日)を知り愕然とした。セントネリアンに達しさらにその先の道を示していただきたかった。これで切れてしまったことはつくづく寂しい、残念である。岩井先生にはもっともっと岩の様な壁であり続けてほしかった。
頂いた最後のおハガキ(写真)(1/12/025)であった。
岩のような厚い壁を感じる人だった。いつか退職後、久しぶりに大学C館の廊下でお会いした時、先生の人相は変わっていた。何事ですか?と聞くとK先生に文句を言いに来たとの。テレビ放映でK先生がある研究上の新発見をしたとのニュースのことだと言われた。小生もそのことは知っていた。あれはK先生の発見ではないと血相を変え、学長にも文句を言いに須磨までやってきたようだ。真相をないがしろにされたことに立腹され、してはいけないことだと岩のような先生の態度であった。このことはその後どうなったのか聞いてないが、このことは非常に印象が深かった。がんとして岩の様な岩井先生と共に、一面前述の様な、紙を重ねた空気の相の様な人格との違いはどこから来るのか知りたかった。
小生が神戸女子大学へ赴任してすぐに、岩井先生がある財団の研究助成費申請用紙を直接届けてくれたことがあった。穀物関連のことだからと持って来られ、ありがたくいただきこれに応募しようと準備しようと、松本博先生にその旨相談した。松本先生から他の財団からの研究助成費申請用紙をいただき、これはすでに応募に申請していた。松本先生はこの岩井先生からの応募用紙はすぐに返してこい、一人で2箇所の申請は厚かまし、やりすぎだといわれた。頭をかきながらわかりましたと直ちに岩井先生にその旨伝えてお返しした記憶がある。先生は了解してくれた。松本先生と岩井先生との間には古くからの厚い信頼関係があり、小生の本学への就職に関しても岩井先生の御推薦を頂いていたはずである。そのような関係があり、若造教員への先生方の指導が感じられ、神戸女子大学への献身にますます力が入った覚えがある。
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